海外において、多くの調査の結果、プラシーボの利用は決して稀ではないことが分かった(Goldberg et al 1979,Gray&Flynn 1981)。

 

300名の看護師と医師を対象にしたある調査では、80%がプラシーボ薬を最近投与したと認めている。

 

そして、その中で一番多いのは、痛みの軽減に対してであった(Gray&Flynn 1981)。

 

プラシーボを与えた一番ありふれた理由の中には、「手を焼かせる患者」や「正当な薬を与える価値のない患者」を罰したり、患者の訴える症状が実際には存在しないことを証明するため、というものも含まれていた(Goodwin et al 1979)。

 

このような態度は、患者に対して直接心身症的な病気としてレッテルを張ることになるのは明らかであり、悲しいことに、このレッテル貼りという習慣が今日でもまだまだ広く残っている。

 

患者のカルテに心身症という記述や、それを示唆する言葉があると、その患者はいっそう多くのリスクを抱えることになる。

 

患者が心身症的な症状があると思うと、担当する医師は患者の訴えの医学的信憑性を疑うようになる。

 

それが言葉による訴えであろうと、非言語的身体サインでの表現であろうと同じことである。

 

もしも医師が「プラシーボが器質的な疾患organic diseaseと精神的な疾患mental diseaseを鑑別するという神話」を信じていて、それを現実に適応するならば、プラシーボ反応を示す患者に対する態度は最も危険で残酷なものになる。

 

すなわち、そうした態度を持つ医師は患者の痛みが本物ではない(つまり器質的なものではない)と考えるし、痛みの器質的原因を判断するための診断的手順を実行していくのは時間の無駄になると思う可能性がある。