プラシーボ効果の一般的な定義は下記となる。

 

『プラシーボによって起こされる心理的ないし心身的効果(Plotkin 1985)』

 

 

そして、プラシーボ効果の『プラシーボ』という言葉は、ラテン語の動詞「プラケーレplacere」に由来し、「人を喜ばせる、楽しませる、満足させる」という意味から出発している。

 

しかし残念なことに、現在にいくつか存在している『プラシーボ』の定義は、「治療効果判定の面倒な変数」「医学的なペテンやイカサマ」といったネガティブなイメージと結びつきやすい内容となっている(定義の例えは後述する)。

 

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目次

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プラシーボの定義

 

狭義:

「薬理的に不活性な薬物や物質の投与(Shapiro 1959)」

 

「真正の処方が必要な徴候がないときに、薬を欲しがる患者を満足させるために与えられる本物の薬に酷似した形状の本物の薬に酷似した形状の不活性物質(書籍:高齢者の痛みケアより)」

 

※つまりは『偽薬』と呼ばれるように薬理効果がない成分を「薬」と称して使用する際に用いられる言葉。

 

 

広義:

「非特異的な心理学的効果や心理生理学的効果を期待して用いられるか、あるいは推定された効果のために用いられるが、治療されている状態に対しては特異的な活性がない治療法あるいは治療法の構成要素(Shapiro&Morris 1978)」

 

 

理学療法・作業療法とプラシーボ効果

 

理学療法・作業療法の世界においても、プラシーボを広義の意味で用いることがある。

 

ただし用いる際は、科学的根拠のある「真の治療」を二重盲検などで証明する際の対比としてであったり、科学的根拠の乏しい治療法に対する「単なるプラシーボなのではないか」といった表現だったりと、ネガティブな意味で用いられることが多いと思い印象を受ける。

 

 

一方で、プラシーボ自体がモルヒネにも劣らない効果を発揮したとする事例も多く、そうなると(良くも悪くも)プラシーボ自体が真の治療に匹敵してしまうケースも存在することから治療をするにあたって無視できない要素であることも事実である。

 

もちろん、「再現性(同一方法と同一条件のもとに同一の結果が得られること)が低い」などの点で医学、医療とは呼べないため、「単なるプラシーボ効果」を治療として用いることは避けなければならない。

 

 

しかし、どんなに優れた(科学的根拠のある)理学療法を提供する場合であろうと、「人間という心を持った存在」を対象にしている以上、その好結果の一部はプラシーボ効果が加味されていると考えた方が自然である。

 

つまりは、プラシーボ効果(あるいはノーシーボ効果)が全く加味されないリハビリテーション(理学療法・作業療法)は存在しないということだ。

 

従って、理学療法においてプラシーボ効果を表現する場合は、「その治療の効果は単なるプラシーボ効果かどうか」ではなく「その治療の効果におけるプラシーボ効果の優位性が高いか低いか」といった表現の方が妥当だと思われる。

 

そして、プラシーボ効果を「科学的根拠のある治療(=真の治療)の効果を増幅させる要素の一つ」と解釈して活用を模索することは重要だと思われる。

 

 

理学療法・作業療法におけるエビデンスとプラシーボ効果

 

プラシーボ鎮痛の特徴に関して、今までの議論が立脚してきたことであるが、医師(やセラピストも含む医療従事者)にとってはその実践的な面で重要な意味がいくつかある。

 

第一にはプラシーボ治療(患者を騙すために故意に採用された不活性の、あるいは偽医学という伝統的な意味合いにおいて)が、実験ではなく臨床という場で、故意に用いられて良いかどうかという問題がある。

 

治療を望んでいる患者は、その治療によって自分の抱える障害に対してきちんとした治療的効果があると信じるに足る、臨床的あるいは実験的なエビデンスに基づいて治療を受ける権利がある。

 

しかしながら、もしプラシーボ鎮痛が実験によって証明されたように、学習による期待感の効果が明らかならば、そのような学習効果を最大限に良い方向に活用すべきである。
エビデンスに基づく臨床医療を提供するために、医学における様々な検証が行われている理由の一つは、ここにある。

 

※でなければ、祈祷師の祈りによるプラシーボ効果によって改善されたものも「だって良くなったではないか」という名のもとで、医療ということになってしまう。

 

※藁にもすがる思いで祈祷師のもとを訪ね、そのスピリチュアルな教えのもとでプラシーボ効果が作動して何らかの好反応を示したとするならば、その点を否定するわけではない。

 

※ただ、医療とは呼べない。「良くなった人もいる」というだけで、医師やセラピストの教育カリキュラムで「祈祷術」を取り入れようということにはならない。

 

※それらはプラシーボ効果という名のもとで、「心理学」あるいはクライアントとの接し方、「まっとうな治療効果を高めるための要素」などといった側面において教育される分野である。

 

我々の治療効果の信頼性が高いことをエビデンスとして実証できれば、それだけその治療に対するクライアントの期待感は高まることだろう。

 

例えば、「患者が受けようとする治療法が、研究では良い効果があったという情報」は肯定的な期待感を働かせる一つの方法として、クライアントに伝えるべきである。

 

※ただし嘘八百を並べ立てることで、期待感を高めることも出来るのだが。

 

 

プラシーボ効果を活用しよう

 

前述した観点からも、プラシーボ効果を否定的な側面のみで考えるべきではない。

 

そして学習された期待感というものが、プラシーボ鎮痛の心理生理学的な現象の基礎であるとするならば、われわれは、そのような期待感をどの様に利用したり、応用したりして臨床医療の中で最大限の成果を出せるかという問題を考える必要がある。

 

プラシーボ鎮痛は、我々に身体が痛みを軽減するために持っている一つの実例である。

 

歴史的にはプラシーボ効果は純粋に心理的な反応であるという神話として、その効果の重要性が否定されてきた。

 

しかしながら、エビデンスがますます増えるにつれて、プラシーボ鎮痛というのは身体が持っている内因性の鎮痛の一つの発現であり、学習や期待感といった心理学的メカニズムによって活性化される。

 

中枢神経系には神経的なリンクが存在し、期待感によって身体症状の変化を起こす。
病気における他の症状の中でも、痛みは個人の期待感によって軽減もすれば増加することもあり得る。

 

肯定的な期待感を持てば、痛み治療からは肯定的な結果をもたらすことになる。

 

肯定的な期待感の効果は長期的に持続することもあり得るし、他の治療方法の結果にまで一般化して、良い結果を生むことになる場合もある。

 

※治療に失敗した場合もまたその効果は、良くない効果であるが、長期に持続し、それが慢性痛や痛みによるさらに大きな障害に発展してしまうこともある(この様な負の側面はノーシーボ効果と呼ぶ)。