別記事『痛みは生きていくうえで必須なものである』では、「先天性無痛症は一次侵害受容ニューロン自体が存在しないため、痛みを全く感じることが出来ないとい」というエピソードを紹介した。

 

そして、上記の記事では先天性無症を有した人たちは、痛みを感じないからこそ多くのけがや事故に見舞われる可能性も述べてみた。

 

しかし一方で、痛みを感じることができるにもかかわらず、「脳のある部位」が欠損してしまっている場合も、多くの怪我や事故につながってしまうことが分かっている。

そして、この「脳のある部分」とは『扁桃体』を指す。

 

扁桃体は大脳辺縁系の一部であり、様々な情動喚起のプロセスとして関与する。

 

また、扁桃体は情動の中でも怒り、悲しみ、嫌悪、驚き、不安 恐怖など「負の情動」への関与が大きく、うつ病患者の扁桃体を調べると活性化されている場合が多いとされている。

 

他方で、扁桃体による負の情動はネガティブな面だけでなくポジティブな面もあり、前回ブログで「痛み感覚は生きていく上で必要である」と示したのと同様に、生きていく上で必須なものと言える。

 

例えば、扁桃体を切除したサルが恐怖を正常に感じることが出来なくなってしまい、猛毒のコブラをつかもうとするなど、危険極まりない行動に出てしまったというエピソードが存在する。

 

あるいは、人間においても扁桃体を切除した患者さんに関して「唸り声を上げている犬を平気でなでようとした」「走っている車の目の前に歩きだそうとした」「暖炉から絨毯へ落ちてしまった熱い炭を、素手でそのままつまみ上げようとした」といたエピソードが存在する。

 

そのため怪我が絶えなかったとのことだが、その後は時間をかけ徐々に危険へ注意を向けるすべを身につていったことも後日談として紹介されている。

 

※ただし、時間がたっても恐怖や不安などの感情を抱くことは一切ないとのこと。

 

※つまり、「これらの行為は怖くもないし不安でもないが、行為の結果として良からぬことが生じてしまう」ということの繰り返しによって(感情抜きで)対処方法を学習していったと思われる。

 

これらのことからも、扁桃体の欠損は、前回ブログに投稿した先天性無症と同様に多くの怪我や事故に見舞われてしまう可能性があり、危険察知として働く扁桃体の機能は生きていく上で必要なものといえる。

 

他方で、扁桃体が活性化しすぎることによるネガティブな側面に目を向けることも重要となる。

 

先ほど「うつ病患者の扁桃体を調べると活性化されている場合が多いとされている」と述べたが、慢性疼痛患者でも同様な現象が起こっていることが分かっており、扁桃体の中心核外側外包部は『侵害受容性扁桃体(nociceptive amygdala)』と呼ばれ、痛みと不快情動を結び付けることが示唆されている。

 

例えば、痛みと扁桃体の関係を調べた文献の中には、末梢器官から侵害刺激がない場合でも扁桃体が活性化することで慢性痛の症状を示すことが確認されたものもあり、扁桃体(を中心とした大脳辺縁系)による「負の情動(痛みの場合は不快という情動)」が慢性疼痛に大きく関与していることがうかがえる。

 

先天性無痛症のように「生まれつき痛み感覚が存在しない」なら、もちろん慢性疼痛は生じるはずがないのは容易に理解できまる。

 

一方で、痛み感覚は正常であったとしても扁桃体の欠損により「痛み感覚は存在するが不快ではない」といった患者の場合は、痛み刺激が入力された際の訴えが扁桃体を有した患者とは全く異るものになる可能性がある。

 

そこから逆説的に考えると、先ほどの文献に示されたような扁桃体の過度な活性化によって「痛み感覚は存在しないが、不快である」という現象も起こり得ることが想像できる。

 

つまり、「従来の痛みの原因であった組織損傷などの問題が解決・治癒された後も、扁桃体による不快情動が残存してしまっていることにより慢性的に痛みを感じ続けている」という現象が起こり得るのではないかということになる。

 

あるいは、頑固な痛みを患っている人の中には、痛みという「感覚」にではなく、それに付随する不快などの「負の情動」に苦しめられているケースも多いのではないかとも考えさせられる。

 

また、痛みを有害だと思う人は、そうでない人よりも扁桃体の活動が高いことも実験で示されているが、この事実は扁桃体の活動が個人の認知バイアス(例えば楽観主義か悲観主義かなど)に左右されていることを意味しており、これらのバイアスを認知行動療法などで修正していくことによる鎮痛の可能性を示唆してくれている。

 

※認知バイアスなどに関しては以下を参照

⇒『認知行動療法とは?痛みに対するリハビリ(理学療法・作業療法)