※今回の『徒手療法とクリニカルリーズニング(臨床推論/批判的思考)』はシリーズとして掲載している。

 

※初めて観覧する方は、『理学療法士・作業療法士が知っておくべきプラシーボ効果・ノーシーボ効果』から観覧することをお勧めする。

 

※表現がまどろっこしくなるのを防ぐため、敢えて断定調な表現を用いている場面もある点を了承願いたい。

 

※気功やエネルギーといった表現が出てくるが、これは身体の神秘的側面に対して様々な解釈が存在していることの比喩に過ぎない点に注意してほしい。

 

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目次

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徒手療法とクリニカルリーズニング(臨床推論):はじめに

 

プラシーボ効果・ノーシーボ効果はどのような介入をする際にも起こり得る。

 

例えば、クライアントに(触診などの目的で)軽く触れているだけにも関わらず、「気持ち良いです。徐々に楽になっています」などと言われた経験はないだろうか?

 

これは、あなたが上手にクライアントへ触れることが出来ている証拠かもしれない。

 

更には、あなたへの信頼感、あるいは理学療法士という肩書きが、「施術に対する期待感」として生まれているのかもしれない。

 

あるいは、あなた自身から醸し出される雰囲気がそうさせている事もあるだろう。

 

そして、これらの要素はプラシーボ効果として、クライアントへ好反応をもたらす可能性を秘めている。

 

私が上記のように言われた際は以下のニュアンスで答えることが多い。

 

「体を調べていただけですが、人に触れられることが心地良く感じることはありますよね。「手当て」という言葉があるように、触れることは、それだけで人を楽にする効果があるのかもしれません」

※あるいは、「そうですか」と曖昧に微笑むことも多い。

 

 

一方で、プラシーボ効果を最大限に高めたいと考える人がいるならば、以下の様な声かけも可能である。

 

「私も、あなたの邪気が薄れていくのを感じました。それが症状の緩和につながったのだと思います。これから本格的にエネルギーを注入し、全身の邪気を取り払っていきましょう」

 

※もちろん不信感によるノーシーボ効果が加味される可能性があるものの、ハマったなら絶大な効果が現れる可能性も否定できない(オススメはしないが)。

 

初っぱなから話が脱線したが、
今回は徒手療法におけるプラシーボ効果について、クリニカルリーズニングをするために重要な「メタ認知」と、「エビデンスが希薄な概念」を関連付けながら話を進めていこうと思う。

 

また、最後まで記事を読んで頂ければ、この「プラセボ効果」のシリーズが誰に向けた記事なのか掴んで頂けるのではと思う。

 

 

徒手療法のクリニカルリーズニング(臨床推論)で重要な3要素

 

徒手療法を用いるにあたって以下の要素が重要となってくる。

 

①知識
(考える材料としての知識が十分にあること)

 

②認知・思考能力
(その知識をもとに幅広く、また適切な推論が出来ること)

 

しかし、これだけでは不十分で、さらに自分の知識や推論過程を適切に判断して、それを問題解決に活かせる「③メタ認知能力」が必要となってくる。

 

そして、これらは『クリニカルリーズニング(臨床推論)に必要な3要素』として有名だ。

 

 

メタ認知能力とは

 

メタ認知能力に関して、ウィキペディアには以下のように記載されている。

 

メタ認知とは認知を認知すること。

 

人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識すること。

 

それをおこなう能力をメタ認知能力という。

 

そして徒手療法においては、「はたして自分が実施している介入は正しいのか」「もっと最善な介入があるのではないか」「自分の都合の良い解釈をしているだけなのではないか?」などと、自身の思考(認知)をあえて批判的に思考(認知)してみる行為を含む。

 

私たちは、認知バイアスによって、様々な事象を自身の思うように解釈している。

 

これは当然のことであり、だからこそ認知バイアスの存在を自覚して、「自身の認知は正しいのか?」とメタ認知を働かせることが重要だ。

 

私たちは「この介入が最善だ」と思い込んでしまうこともあり、それが正しいこともある一方で、常に頭の片隅には認知バイアスの存在を意識しておかなければならず、これは臨床推論における重要なポイントとなる。

 

※これは徒手療法に限らず、全てのリハビリテーションに通じる。

 

※特に『ICF』における『活動・参加』を『環境因子や個人因子』とも絡めて考えた場合、考えられる選択肢や組み合わせは無限に存在し、だからこそ「いかに悩み抜くか」が自身の殻を破って成長するための重要な鍵といえる。

 

※例え「適切な臨床経験によって、ショートカットな思考でもベストチョイスに繋がる確率が高まった」としても。

 

※これは、トップダウン方式の評価にメリットがある反面、デメリットの存在も頭の片隅に置いておかなければならないのと同じとなる。

 

※ここで用いている「介入」とは、徒手的な一つの刺激だけを指しておらず、問診から自己管理指導・家族指導に至るすべてを含んで「介入」と表現している。

 

あるいは、自身が選択した「テクニック」の有用性や「介入」の妥当性だけでなく、自身が学んでいる『概念自体』にメタ認知を働かせてみることも、自身の治療の幅を広めるために重要となってくる。

 

 

様々な概念への批判的思考(メタ認知)

 

徒手的な評価やテクニックに着目した場合、それぞれに様々な特徴がある。

 

例えば、整形外科的テストにおける感度・特異度などの指標も特徴と言えるだろう

関連記事⇒『HP:統計の用語解説(感度・特異度など)

 

あるいは、それ以外の理学検査に着目した際も、単独で用いた評価の信頼性・妥当性が低くても、複数の理学検査を組み合わせることで、これらの確度がどの程度上がるのかといった指標も特徴と言える。

(例⇒『仙腸関節テスト(検査)の精度を上げる方法』)。

 

治療テクニックも同様に、臨床推論で導き出された仮説次第では、適用な場合もあれば、非適用な場合もあるといった特徴を有している。

 

さらには、それぞれの概念にも特徴があるため、クライアントに合わせて適切な概念を適用していくことも重要となる。

 

しかし、これらの概念を提唱している学派が、概念の適用・非適用といった特徴を丁寧に教えてくれる場合もあれば、教えてくれない場合もある。

 

それどころか、他学派を批判して自身の概念の優位性を主張することすらあり得る。

 

そして私たちは、それらの批判を聞くとことで認知バイアスを働かせてしまい、批判されている学派には良い印象を持たなくなってしまうこともあるだろう。

 

しかし批判されている概念を実際に受講してみると、その批判は数十年前の話であったり、そもそも誤った解釈で批判されていることもあったりする。

関連記事⇒『モビライゼーションとAKAの違いを徹底解説!

 

つまり、自身が学んでいる概念(あるいは学ぼうとしている概念)の特徴に関する様々な情報に対して、受け身にならず批判的思考(メタ認知)を働かせ、自分自身で様々な思考をめぐらすことが重要となる。

 

すると、それぞれが批判をし合い、一見すると水と油のように見える概念も、実は非常に相性が良く、統合して臨床推論を展開しやすいものも数多く存在していることに気くのではないだろうか?

 

※例えば私の場合、「海外における総合学派と反応重視型学派」、「一部のオステオパシーテクニック」、「PNF」などが統合しやすいと思って用いている(全ての相性が良いとも思わないが・・・)

※関連記事

⇒『HP:理学療法学派の分類

⇒『HP:オステオパシーテクニックの分類

⇒『PNF(固有受容性神経筋促通法)の臨床活用法

 

※例えば、特定の学派に固執せず、総合学派と反応重視型学派を融合した概念などを学べる講習会も存在しているようだ。

 

要は、
「学派が各々に主張していることも重要であるが、それらに対しても十分にメタ認知を働かせ、批判的に吟味した上で、真の意味での適用・非適用・メリット・デメリットなどの特徴を浮き彫りにしていく」
という過程があって初めて、臨床で活かせるような自分なりのコンセプトの統合につながってくると感じる。

 

重複するが、各学派の主張を全て鵜呑みにするのではなく、徹底的に批判的に吟味してこそ浮き上がってくる真実があり、それこそが重要なエッセンスだと思う。

 

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エビデンスが希薄な概念に対する批判的思考(メタ認知)

 

一方で、『エビデンスが希薄な概念』を提唱する団体には、受講者の批判的思考を許さない側面を持っている場合がある。

 

例えば、ある団体が「この概念による刺激によって、硬い組織・ゆるい組織ともに、本来あるべき状態に近づけることが出来るのだ」という万能な解釈を説いた場合、「何でそんな万能なことが起こるのか?」とメタ認知を働かせるのは当然だ。

 

しかしその発言は、「いかにもPT(理学療法士)的な質問ですね」「視野が狭いですね」などと、団体からは一蹴されるかもしれない。

 

そして、「自然治癒ですよ」「ホメオタシス(恒常性)ですよ」「こーゆーのが身体には備わっているんですよ」などのフワッとした説明があった後、「ほら、楽になるでしょ?」などと言いながら受講者を施術して、何となく心地良くなるようなプラシーボ的な体験で納得させようとするかもしれない。

 

しかし、その団体からしてみれば、その概念に適合している洗練された操作やタッチ能力を探究して身に着けているだけな可能性もあり、「受講者が楽になった」ことのみをもって、プラシーボ効果を否定することは出来ない。

 

※ちなみに、意識・無意識にかかわらず、セミナーにおいて受講者は、プラシーボ効果にかかり易い側面を持っている。

※関連記事⇒『医原的プラシーボ効果とは

 

精密な医学に基づいた概念を謳っている場合においても、肝心なところは「PT的だね」などとフワッ論点がすり替えられ、「だって、実際に改善しているではないか」的な問答が繰り返されることがある。

 

※あるいは真っ当なアプローチも織り交ぜながら神秘的な類も紹介されるなど、カラクリが複雑になっていることも有るかもしれない。

 

しかし、「エビデンスが希薄な概念」に対する疑問の中には、メタ認知うんぬん以前に小学生でも疑問に思うような内容も多々あり、「PT的」というより「一般常識的」な単純な疑問も多く存在する。

 

にも関わらず、この様な問答が何回か繰り返されるうちに受講者は、セミナーという独自の雰囲気の中において「空気を読んで」質問しなくなる、あるいは「一般常識的な」疑問すら抱くのがバカらしくなる可能性を秘めている。

 

当然、高額なセミナーであればあるほど「郷に入れば郷に従え」というコトワザを自分に言い聞かせるような心理も働くことだろう。

 

そうなると、その団体に対するメタ認知、すなわち批判的な思考を展開すること自体が無くなって、思考停止に陥いり、「だって実際に良くなっているではないか」という点のみを拠り所に、ひたすら団体の提唱する概念を信じてセミナーに参加し、技術を磨いていくことにつながってしまう。

 

それと同時に、理論的根拠として解剖・生理学などによる自身の概念に都合の良い情報だけを寄せ集めて拠り所とし、逆に科学性や批判的思考はどんどん排除することで『確証バイアス』を強め、その確証バイアスによって「概念」に対する強固な『信念』を形成し、その信念が更に『確証バイアス』を強めていくという循環を生み出してしまう。

 

 

そして、もし仮に臨床で結果が出せない場合は、(冒頭で示した「臨床推論に必要であるメタ認知」が働いていないため)
「はたしてこの概念は正しいのか(あるいは適用なのか)」といった批判的思考は生まれてこず、
「自分の技術が未熟なのだ」という結論にしか結びつかない可能性を秘めている。

 

そうなると、更にひたすらセミナーへ参加して、愚直に技術を磨いていくことのみが、問題解決の手段と思い込んでしまうケースもあったりする。

 

重複するが、
エビデンスが希薄な概念に没頭しすぎると、エビデンスが希薄であるほど必要なはずのメタ認知が働かず、
逆に思考停止の方向に進んでしまう
といった事が起こってしまう可能性を秘めている。

 

 

認知的不協和

 

この記事を補強する意味で『書籍:考える理学療法 評価から治療手技の選択』に掲載れている内容を引用しておく。

 

一般的に、人間の思考や推論は、自分が持っている知識だけでなく、自分の立場や感情に左右されやすい。

 

例えば、ある宗教にいったん入信してしまうと、その宗教が必要以上に素晴らしいものであると認知する傾向にある(これをイニシエーション効果という)。

 

したがって、その宗教を否定するような推論は、自分の苦労や投資が無駄であったりと言う不愉快な感情を持つことになるので、そのような推論が無意識のうちに行われなくなる。

 

このようにある認知をすることが、自分のこれまでの認知にとって不利であったり、誤りであるとされることで、認知のハーモニーがとれなくなる状態を認知的不協和とよぶ。

 

この認知的不協和の状態は非常に不快であるため、人間はそれを避けようと、自分の置かれている立場や自分のこれまでの認知に縛られた推論を行なう傾向がある。

 

認知的不協和は推論だけでなく知識にも影響を与える。

 

推論の材料を集める段階で自分の期待に沿う情報ばかりを収集し、そうでない情報を無視する傾向にある。

 

したがって、知識が豊富であり、推論能力が優れていても、このメタ認知能力がないと誤った判断をしてしまう。

 

メタ認知能力がある人であれば、どうも自分の認知が今の立場に左右されすぎているとか、既存の認知に固執しすぎているとか、感情に左右された判断をしているというような可能性を検討できる。

 

これにより推論の誤りを修正できる。

 

認知的不協和に関しては、以下の記事でも解説しているので興味がある方は参考にしてみてほしい。

⇒『認知的不協和とプラシーボ効果

 

 

学派・団体批判に対する各々の反応

 

まっとうな学派であればメタ認知を働かせることが許されるので、様々な特徴が浮き彫りになり、それらが浮き彫りになるからこそ臨床推論に活かせる。

 

そしてメタ認知を働かせると、徒手療法の奥深さや大いなる可能性が見えてくると同時に、万能ではないことも浮き彫りになってくるので、痛みに対する様々な側面にも目が向くようになり、様々な介入手段(例えば認知行動療法など)の検討にも着目出来るようになる。

 

※徒手(理学)療法とは、この様に包括的に解釈した意味で用いられることが多くなってきている

(関連記事⇒マニュアルセラピーって何だ?

 

そして、それら着眼点の中にはプラシーボ効果も当然入ってくるし、
エビデンスに関しても、批判的思考によって良い点や限界点などを浮き彫りにさせた上での活用となる。

 

また、様々な特徴が分かっているからこそ、自身が学んでいる学派・団体を他者から批判されても、何とも思わなくなる。

 

この点は、道具に例えると分かりやすいかもしれない。

 

例えば、『ハサミ』は紙を切るのに適している。
一方で、同じような形状の『ペンチ』は針金を切るのに適している。
ハサミで針金は切れないし、ペンチで紙を切るのは大変だと思われる。
そして、当然のことながら、これらを活用する人は、それぞれの特徴をきちんと理解している。
したがって、「ハサミでは針金すら切ることができない」「ペンチでは紙を切り終わるのにこんなに時間がかかる」などと批判されても、何とも思わないということだ。

 

他方で、エビデンスが希薄な概念を学んでいる人は、その概念を批判されることに過剰反応を示す人が多い印象を受ける(あくまで、私の主観である。この記事のターゲットとなっている観覧者が各々の現状に当てはめて判断してもらって構わない)。

 

各々の団体は利益も絡んでいるため、どの様な団体であっても他団体を批判したり、過剰反応を示したりする可能性は十分にあり得る。

 

しかし、自身の利益とは関係ないにもかかわらず、我が事のように過剰反応を示してしまう人達はどういう心境なのだろう?

 

これは、前述した書籍にも記載されているように、認知的不協和を解消させるための一種の防衛反応と捉えることもできるのではないだろうか?

 

メタ認知を働かせないということは、その概念に対して全幅の信頼を置くということにつながりかねず、それを批判されるということは認知的不調和という耐えがたい苦痛が伴うのかもしれない。

 

であるとするならば、自ら認知的不調和を起こすような行為(批判的に吟味してみる、エビデンスを検証してみるなど)はしたがらなくとも、何の不思議も無いだろう。

 

※もちろん、「認知的不調和などとは関係なく、自身が学んでいる概念に対して誤解に基づいた批判をしている人がいるならば、その誤解を解きたいという気持ちが芽生えるのも当然じゃないか」という解釈もアリだとは思う。

 

※ただし、その場合においても「だって良くなっているじゃないか」などのフワッとしたプラシーボ効果的なものではなく、根拠(エビデンスでも何でも良いので)を示してもらわなければ信用したくても出来ないというのが、学術的側面における現実である。

 

※誤解しないで欲しいのは、これらの神秘的、崇高的な存在を否定している訳ではないということだ。現に、自然治癒力もホメオタシス(恒常性)も、人間に必要不可欠な機能である(関連記事⇒『ストレス刺激とストレス反応』)。

 

※要は身体に起こった変化の原因が、自然治癒力活性化によるものかもしれないし、恒常性の適正化によるものかもしれないし、そう思い込んでるだけかもしれないし、何とも言えないということだ。

 

※あるいは変化の原因が自然治癒力やホメオタシスと関連があるとして、それが気功によってもたらされると言っているものが実はエネルギーかもしれないし、エネルギーだと言っているものが実はプラシーボ効果なだけかもしれないし、それを「これは波動によって起こった効果だ」とか「この改善はプラシーボ効果によるものではありません」などと断定して表現されても、それが本当かピンとこないということだ。

 

※あるいは、団体の人々と仲良くなれば、その人達がけなされているという感情が芽生え、それが過剰反応に繋がるという解釈もアリだろう(これは、特定の団体に限らず起こり得そうだ・・)

 

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選択の時

 

「エビデンスが希薄な概念」に対してメタ認知が働きにくく、団体を信じて愚直に技術を磨いていったとしても、
1年後、2年後、10年後などのいずれかの段階で、恐らくは

これって単なるプラシーボ効果じゃね??

 

との疑念を持ち始める理学療法士・作業療法士も出てくるのではないかと想像する。

 

そうなるとついに、それまで愚直に概念を学んできた人であっても、

 

①このまま、団体が主張することを信じて突き進むのか

 

②その団体と決別するのか(あるいはメタ認知を働かせて、多面的な思考を持った上で、割り切って関わっていくのか)

 

を決断しなければならない場面に直面すると思われる。

 

あるいは、薄っすらとプラシーボ効果の存在に気付きながらも、その疑念を何とか振り払い、今度はその団体の講師として受講生からセミナー料を搾取する側に回るという『第3のタイプ』も現れるかもしれない。

 

その概念に没頭した時間・投資したお金が多ければ多いほど、(仮に自身が学んだ概念がプラシーボ効果であったとしても)せめて何か(お金・名声などを含む)を回収しなければ割に合わないという心理が働くことは十分にあり得ることだ。

※関連記事⇒『サンクコスト! あなたは呪縛に陥っていないと言えるのか?

 

 

そして、自分の方向性に不安や悩みを抱えている実際の例として、
ヤフー知恵袋に以下の様な相談が書き込まれているのを発見した。

関連記事『外部リンク:ヤフー知恵袋』

 

※あくまで事例であり、オステオパシーを否定しているわけではない。(私自身も理学療法にとりれやすいテクニックを活用している)
※単純に、徒手療法全般において「よくある話」だと思ったので引き合いに出したに過ぎない点は誤解なきよう。

 

 

次回へ続く

 

ここまで読んで頂ければ分かるように、この記事を含めた「理学療法士・作業療法士が知っておくべきプラセボ効果のまとめ一覧」に入れている記事は、「ヤフー知恵袋の投稿者のような悩みや不安に苛まれている人」といった非常に狭い層をターゲットにしたメッセージとなる。

 

そして、これらの人達に対して、多角的な思考をしてもらうための一環として作成している。

 

前記事にも記載したが、エビデンスが希薄な概念を用いて結果を出している人の非難を目的としている訳ではない(非難するならば、それは私自身の非難にもつながってしまう)。

 

また、悩んでいる人が学んでいる概念を否定したり、今すぐ辞めるよう警告している訳でもない(メタ認知を働かせることは促しているかも知れないが・・)。

 

したがって、次回以降のシリーズ記事には以下の2つの内容を両方とも入れ込むことによってバランスのとれる構成にしている。

 

その①:

悩んでいる人が、団体と決別する(あるいはメタ認知を働かせ、多面的な思考を持って、割り切って関わっていく)というパターンを選んだ際のアドバイスを含んだ内容

 

その②:
悩んでいる人が、団体を信じて突き進んでいくというパターンを選んだ際のアドバイスを含んだ内容

 

※シリーズ全てを読んでいただければ全貌が見える作りになっている。

※徒手療法に興味がない方は、不毛というか、ショーもない記事なのでスルーして頂きたい。

 

 

「徒手療法と臨床推論(批判的思考)」の続きはこちら

 

この記事は「プラシーボ効果」として、シリーズで掲載しており、続きの記事は以下になる

 

理学療法士・作業療法士の不安や悩み

 

※プラシーボ効果シリーズは「別ブログで過去に連載していた記事」を移行したものであり、全7記事で構成されている。

 

※全7記事は『プラセボ効果のまとめ一覧』にまとめているので、記事一覧はこちらを参照してほしい。

 

 

(余談)クリニカルリーズニングについて、詳しく知りたい方は以下を参照

 

この記事はプラセボ効果シリーズの一環としてクリニカルリーズニング(臨床推論)に言及しているに過ぎない。

 

でもって、クリニカルリーズニングについての詳細を知りたい方は以下の記事を合わせて観覧することをお勧めする。

 

クリニカルリーズニング(臨床推論)って何だ? 詳しく解説するよ!!