先日学会に参加して、「海外エビデンスの落とし穴」について考える機会があったので、皆でシェアしようと思います。

 

海外エビデンスの落とし穴

 

海外の文献を読む際は、その文献の「行間」を読めないということが落とし穴になる

エビデンスの非常に高い海外文献の中に片麻痺の上肢治療に関するものがある。内容は非常にトレーニングされたボバースセラピストが介入してもリハビリ助手が介入しても患者への治療効果は変わらないというものである。

しかし、こんなことはあり得るわけがない。こんなことがあり得るならPTとして勉強していくのが馬鹿みたいではないか?

ここに海外文献を読む際の落とし穴があるのではと考える。

この海外文献を書いた著者がボバースセラピストのことが大嫌いだったなら???そういう場合に「行間」が読めていたなら「あ~、この先生がこういう発表をしたならこういう結果になるよな」というフィルターを読者がかけれる。

国内文献では、どういう人がどういうことを言ってきたかの蓄積があるので「行間」が読める=フィルターがかけれる

海外文献でエビデンスが高いというお墨付きがついたものを読んだ場合、フィルターがかけれず「片麻痺治療は助手がやっても効果は同じ」になってしまう。

これが海外エビデンスの落とし穴である。

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エビデンスのみならず、全ての理学療法に言える要素

 

上記の「エビデンスの落とし穴」は、エビデンスのみならず、全ての理学療法に通ずるのではなかと感じます。

 

理学療法士が何らかの主張をする際は、「そもそも、この人の普段のスタンスは?」と考える癖をつけておいても良いと思います。

 

理学療法士で開業している人なのか、徒手療法が嫌いな人なのか、エビデンスを重要視する人なのか、筋膜セミナーに高額投資しちゃってる人なのか(えらく細かにフォーカスしちゃいましたね)・・・・・・・・・・などなどと、どの様なスタンスの人が発している言葉なのかに注目するのは、「情報の信頼性」という意味で参考となる指標の一つになり得るのではと感じます。

 

そして、もちろん「一つのスタンスをとっている人が、そのスタンス通りに語っている内容」も参考になることは当然あります。

 

一方で、こちらが想像しているスタンスとは逆の発言は、かなり人を引き付けると感じます。

 

例えば、

 

「開業している人が、あえて開業のデメリットを語る」

 

「徒手療法が嫌いな人が、あえて徒手療法の可能性にも言及する」

 

「エビデンスを重視する人が、あえてエビデンスの限界、ナラティブな要素の重要性を語る」

 

といった場合には、在り来たりではない有用な情報であることが多いと感じます。