「私の何かが変わらないような“情報”は情報ではない」

 

以前、当県の理学療法ニュースで会長が書いた、上記タイトルのコラムがあった。

 

 

アメリカのベイトソン(Gregory Bateson,1904-1980)という人類学者は、情報(information)を「差異を生み出す差異(Information is the difference that makes a difference.)」と定義したとのことである。

 

難しい概念であるが、ベイトソン曰く、

 

「何かを知ったときに、それに対してこちらの認識が変化せず、結果的に何も行動が変わらなかったら、それは自分にとって“ニュース”ではあっても“情報”ではない」

 

ということらしい。

 

つまり、情報とは「information=in(私の中で)+formation(形作ること)」であり、単なる「news=新しいもの」とは意味が異なると言っている。

 

理学療法に当てはめてみると、例えば動作分析にて「double knee actionが消失している」ということに気づいても、それが具体的な介入手段に反映されなかったら、それは“情報”にはならないとのこと。

 

あるいは、「理学療法士もMRIの画像の判読くらい出来なくては」と力んで勉強しても、それによって明日からの治療戦略が変わらないようなら、それは理学療法士にとって“情報”にはならないとのこと。

 

そして最後に、情報を「in(私の中)」でいかに「form(形作る)」か、私たちにいま一番問われているのはこの点だということで締めくくられていた。

 

 

学生時代に学んだ知識には“情報”が多く含まれていましたが、臨床では活用しない“ニュース”も同様に多く含まれていました。

 

もちろん学んだ知識をどれだけ多く“情報”に出来るかは自分次第だと思う。

 

そして、臨床2年目に色々と試行錯誤した末に壁へぶつかった時、学生時代に学んでも活用できていない“ニュース”を“情報”にガラリと変えてくれたのが『様々な学派のマニュアルセラピー』であった。

 

マニュアルセラピーを学び出した際は、「活用出来たにも関わらず、眠らせていた知識がこんなにもあったのか」と驚いたことを覚えている。

 

今後も、少しずつでも色んな知識を吸収して、それらの知識を可能な限り“情報”にすべく精進していきたいと思う。

 

※注意:他の記事の中では、ここまで考えて「情報」という言葉を使っていないので注意してほしい。