※今回の「理学療法士・作業療法士の将来・未来に向けて」は「努力が実る3つの条件」としてシリーズで掲載しています。

 

※はじめての方は「理学療法士・作業療法士の努力が実る3つの条件」から観覧することをお勧めします。

 

※最初から読んでいただけていることが前提の記事となっています。

 

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目次

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理学・作業療法士に大切な「十分な量の努力」について

 

『努力は裏切らない』という言葉は不正解。

 

『正しい場所』で、『正しい方向』で、『十分な量』でなされた努力であってこそ、裏切らないのだ。

 

この名言に関して、理学療法士・作業療法士の努力に関して、『正しい場所』と『正しい方向』について自分なりに考察してきました。

 

今回の「理学療法士・作業療法士の将来・未来」では、『十分な量』について記載していこうと思います。

 

(「十分な量でなされる努力」が大切というのは、今更語るほどではない気がしますが念のため・・・・)

 

また、私たちの将来・未来と絡めながら、このシリーズのまとめを記載して終わりにしています。

 

 

才能か努力か

 

努力に対して、「才能」という言葉がよく引き合いに出されます。

 

ですが、努力と才能は相対するものではありません。

 

才能がある人でも、その才能に溺れず努力をする人もいますし、逆に努力しない人もいます。

 

あるいは、平凡な能力であっても、ひたすらめげずに努力する人もいますし、悲観的にあきらめてしまう人もいます。

 

大切なのは天才であっても平凡であっても、十分な努力をすることです。

 

あなたが平凡な人ならば、「才能+努力の人」には勝てないかもしれませんが、「才能+努力しない人」より成長できる可能性は十分にあります。

 

さらに言えば「地道に努力できる」という事も立派な才能と言えるのではないでしょうか?

 

物事を容易にこなせてしまう人は、容易にこなせるがゆえに、目先の結果に終始してしまうケースもあります。

 

他方で、自分は平凡だと思っている人は、将来・未来に対する不安などを原動力に、長期的に物事を考えたり、自分の可能性について深く考える余地を持っているのではと思います。

 

 

十分な『時間』と十分な『量』という視点

 

林先生は、努力が報われるための大切なキーワードとして『正しい場所』『正しい方向』『十分な量』を挙げています。

 

ですが、『十分な時間』というワードも付け足して良いのではと思っています(「十分な量」というのは時間も含んでいるのかもしれませんが)。

 

というのも、「熱しやすく冷めやすい人」は瞬間的に凄まじい量の努力をしているのでしょうが、実際に成功するのは「少しずつでもよいからコツコツと継続できる人」ではないかと思うからです。

 

つまり『十分な量』と『十分な時間』による努力が大切だということです。

 

人は誰しも、すぐに結果が出るものに飛びつきたくなります。

 

なので、「すぐに臨床に役立つ」といった謳い文句のセミナーが乱立しているのも頷けます。

 

実際に、当院でも研修費の直談判をする際には「あなたがセミナーに参加した後で、当院にどのような恩恵がもたらされるのか?」などと質問されます。

 

確かに、研修費を出す側からすれば、いつ研修の成果が実るか分からない(いつ病院側に恩恵がもたらされるか分からない)ものに出資しようなどとは思えないものです。

 

そして、この心理は病院が研修費を負担してくれる際だけではなく、個人が自腹で出費する際にも当然ながら芽生えるものです。

 

ですが、本当に大切な姿勢は「短期的な結果を求める」ではなく、「将来・未来に向けた長期的な視野でコツコツと努力を積み重ねて結果を実らせる」ということだと個人的には思っています。

 

急がば回れという諺がありますが、物事の真理に近づこうと思ったり、真の意味で結果を残したり成功したりを願うならば、目先の結果だけを追い求めていては大局が分からなくなってくると思うのです。

関連記事⇒『真実に向かおうとする意志

 

この様な考えのもとでの努力には、一見すると「なんの意味あるの?」「そんなことしても無駄じゃないの?」と周囲からは理解されないものも含まれているかもしれません。

 

しかし、自分を信じてそれらを積み重ねると、それまで努力で培った『点と点』が、頭の中で有機的に『線』になり、物事を深く広くとらえることのできている自分に気づくこともあります。

 

これは、「加えられた刺激が閾値(限界値)より弱い場合は全く反応せず、閾値に達して初めて反応する」という『全か無の法則』と似ています。

 

短期的には成果が見えずらい努力でも、コツコツと続けていることで、将来・未来において成果として突然に開花するといった経験は、受験勉強などで一度は体験したことがるのではないでしょうか?

 

もちろん短期的な結果を求めることを否定していませんが、、それと並行して「長期的な視野を持ってコツコツと時間をかけて努力すること」も大切だと思うのです。

 

これは、理学療法士・作業療法士が研修を受けるのであればコースとして受講する方が良いのではと私が考えている理由でもあります。

 

コースとしてであれば、仮に「熱しやすく冷めやすい人」であっても、一定期間の努力が(半強制的に)生まれるからです。

 

※もちろん「自分にとって正しい方向な研修」でなければ意味はありませんが・・・・

関連記事⇒『コースで一つのコンセプトを学ぶメリットについて

 

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等価交換

 

人は何かを達成するためには、それに見合うだけの何かを犠牲にしなければなりません。

 

このような原則を『等価交換』と呼び、「十分な量の努力」「十分な時間の努力」が必要である所以です。

 

痛みを伴わない教訓には意味がない。

人は何かの犠牲なしに何も得ることは出来ないのだから。

しかし、それを乗り越え自分のものにしたとき、人は何にも変えがたい鋼の心を手に入れるだろう。

マンガ:鋼の錬金術師最終話の最終ページより抜粋~

 

成功を手にできないでいる人たちは、自分の欲望を全く犠牲にしていない人たちです。

人間は、もし成功を願うならば、それ相当の自己犠牲を払わなくてはなりません。

大きな成功を願うならば、大きな自己犠牲を、

この上なく大きな成功を願うならば、この上なく大きな自己犠牲を払わなくてはならないのです。

書籍:「原因」と「結果」の法則より抜粋~

 

「ダラダラと過ごしていたいけどお金は欲しい」というのは、(一般的には)この原則から外れるため不可能ということになります。

 

※何らかの不労所得を得ている人も、その状況へ至るまでに、その状況に見合っただけの努力をしているのが一般的です。

 

 

努力の先にあるもの

 

『正しい場所』で、『正しい方向』で、『十分な量』でなされた努力であってこそ、裏切らないのだ

 

という名言についてのまとめです。

 

私たち理学療法士・作業療法士の努力の先にあるものは一体なんでしょう?

 

それは、リハビリ技術の向上であったり、他者(クライアント・同僚・家族など)に認められることであったり、将来に対する安心感であったり、お金であったり、権力であったりと様々だと思います。

 

そして、これらはひっくるめて『自身の幸せ』と大雑把に呼べるものかもしれません。

 

ですが、ここで幸せについて語りだすと、まとめどころでは無くなってしまうので、少し違った角度で記載して終わろうと思います。

 

努力の先にあるものとして私が考えていることの一つは、『当たり前のように、将来・未来へ向かって歩み続けられるようになること』だと思っています。

 

例えば、マンガ界の巨匠である手塚治虫は、入院先の病院で、死ぬ直前まで漫画を描いていたとされています(書籍:夢をかなえるゾウより)

 

私たちは成功している人たちの仕事の方法を聞くと「あの人は努力家だ」や「自分にはとても同じことはできない」と思ってしまいがちです。

 

ですが、晩年の手塚治虫は努力家だったのでしょうか?

 

確かに、医師免許を取得後、漫画家に転職し、血の滲むような努力をしてきたからこそ、数々の名作を世に排出できたのだと思います。

 

しかし、病院のベッド上で死にかけているのに、苦痛に感じているものに対して「努力しよう」とか、「我慢して頑張ろう」とは思わないはずです。

 

つまり、手塚治虫が死ぬ直前までマンガを描き続けたのは、単純に「描きたかったから」だと思われます。

 

となると、「描きたかったから、描く」という行為は凄いことなのでしょうか?

 

むしろ普通のことです。

 

私たち理学療法士・作業療法士も努力をしている最中は、例え正しい方向での努力であったとしても、苦痛を伴うことがあるかもしれません。

 

やりたいことにつながる「やりたくないこと」はやるべきです。

やりたいことを仕事にしたいと思う人たちは、たいていここで間違えてしまいます。

最初からやりたいことしかやろうとしないのです。

最終的には、自分のやりたいことだけを出来るような働き方に到達すべきです。

けれども、最初からやりたいことだけをやる、やりたくないことはやらない、だとうまくいきません。

むしろ、まずはやりたくないことを率先してやるからこそ、短期間で自由を手に入れることが出来るのです。

~『面接官の心を操れ! 無敵の就職心理戦略』より~

 

ですが、例えそうであっても、その努力を突き抜けてしまった先には、(それが正しい方向であるならば)努力を努力と思わない(時として楽しめる)境地にたどり着けるはずです。

 

何がしあわせかわからないです。本当にどんなに辛いことでも、それが正しい道を進む中の出来事なら、峠の上りも下りもみんな本当の幸せに近づく一足づつですから

~『宮沢賢治 新編 銀河鉄道の夜 』より

 

手塚治虫のマンガの世界に終わりがなかったように、リハビリ職にとって大切な知識や技術、人間性の学びにも終わりはありません。

 

巷では『○○を極めるための講習会』などと銘打っているものもありますが、日進月歩なこの業界において『極める』ことなどできるのでしょうか?

 

つまり、私達が目標とすべきは、これらを『極める』ことではななく、『これら果てしなく将来・未来へ続くテーマに向かって自然と歩き続けることの出来る力』を身につけることだと個人的には思っています。

 

・・・・・私達それぞれにとっての努力の先にあるものが、素晴らしい将来・未来でありますように・・・・・

 

関連記事⇒『・・・・春・・・・・

 

 

努力が実る3つの条件シリーズ

 

この記事は『努力が実る3つの条件』としてシリーズで掲載しており、このシリーズの記事一覧は以下になります。

 

努力は裏切らない」は本当なのか? コラムにしました。