スキーマ・自動思考とは
認知行動療法では、人間の思考の根底にある信念・価値観・人生観などのことを『スキーマ(schema)』あるいは『中核的信念(core belief)』と呼びます。
このスキーマは私たちが物事をどう解釈するかといった認知バイアスに大きな影響を与えます。
そして、様々な場面や状況において、スキーマに基づいた認知バイアスを介して、パッと瞬時にわき起こる思考やイメージのことを『自動思考』と呼び、この自動思考が様々な『感情』や『行動』へ繋がっていくことになります。
適応的スキーマと非適応的スキーマ
認知バイアスに優劣が無いように、スキーマにも優劣は存在しません。
例えば「人は疑ってかかるべきである」という性悪説なスキーマを持つ人と、
「真に悪い人というのは存在しない」という性善説なスキーマをもつ人がいるとします。
性悪説の良い面は、他人に騙されたり、利用されたりすることを防ぎ易いという点です。
性悪説の悪い面としては、疑り深いために人となかなか打ち解けることが出来ない点かもしれません(性善説の良い面・悪い面は、性悪説の逆になります)。
この様にスキーマにも優劣は存在しません。
そして、日常生活や社会生活を送る際に弊害となるようなスキーマは『非適応的スキーマ』と呼び、『適応的スキーマ』へ少しでも修正を試みていくことが大切になります。
非適応になり易いスキーマの具体例
非適応になり易いスキーマには以下のような例が挙げられます。
自己・世界・将来に関するスキーマの分類
- 自己についてのスキーマ
-
- 何でも完璧にこなさなければいけない
- 社会的な成功なしには、幸せになれない
- すべの人から愛されなければならない
- 私はまるで役立たずな人間だ
- 私は醜く、女性としての価値がない
・・・・・・・・・・・など
- 世界についてのスキーマ
-
- 他の人たちは皆、優秀だ
- 人は冷たく、いつも批判的だ
- 世の中は常に公平であるべきだ
・・・・・・・・・・・など
- 将来についてのスキーマ
-
- 将来には何の希望もない
- いい仕事に就くことなど、まず不可能だ
- 自分は一生孤独だ
・・・・・・・・・・・など
価値基準に関するスキーマの分類
- 完璧主義:
- うまく出来ないのなら、はじめからやる意味がない
※完璧を目指して努力することは、間違いではありません。ですが、あらゆる面で完璧な人など、存在しないのも事実です。そのため完璧であることを求めると、惨めな気分を味わい続けることになります。 - 業績依存:
- 価値ある人間になる為には、人よりすぐれた結果を出さなければならない
※業績を価値基準とする人は、高い業績を上げている間は、満足と幸福感が得られます。ですが、病気や失業、定年などで働けなくなると、自分は無価値で、死んだ方がましだとすら思ってしまうことがあります。 - 愛情依存:
- 人から愛情無しに、幸せになれるはずがない
※愛情無しには幸せになれないという考えは、社会的な価値観でもあります。愛する人と良い関係を持つのは幸せなことですが、低い自己評価を埋めるために愛情に依存していると、自分を苦しめる原因になることもあります。 - 承認欲求:
- 自分の価値は、人が自分をどう評価するかで決まる
※賞賛されるのは気分の良いことですが、他からの承認に依存し過ぎると、批判や反対、拒絶にあってしまうと、絶望的な自己嫌悪に陥ってしまいます。自分で自分を承認出来るようになると、生きるのが楽になるのではないでしょうか。 - 報酬欲求:
- 努力した人間が、高い見返りを手にするのは当然だ
※報酬への欲求とは、自分の行動や努力に対し、常に見返りを求めることです。しかし現実には見返りがあるとは限らず、思うようにならないことの方が多いため、不平等感による怒りや抑うつ感に陥る危険性があります。 - コントロール欲求:
- 自分の手に負えない出来事など、あってはならない
※他人や環境が自分の思い通りになることを望んでいると、思い通りにならないことに苛立ったり、自分の周りで起こるすべてが自分のせいのように感じられ、無力感や自責の念にかられてしまうことがあります。
スキーマと自動思考の具体例
例えば、貧困でものの節約が習慣化された人は「節約は大切だ」というスキーマを持っているかもしれません。
すると、「コップに半分水が入っている」という事象に対して、このスキーマから生じた認知バイアス(解釈のバイアス)によって「もう半分しか残っていない」という自動思考が生じるかもしれません。
そして、この自動思考は不安という感情や、「残りの水を大切に使用する」といった行動に結びついて行きます。
あるいは、幼少期に虐待を受けた人は「世の中は絶望に満ちている」というスキーマを持っているかもしれません。
すると、ニュース番組を何気なく観ている際も、このスキーマから生じた認知バイアス(注意のバイアス)によって、人の不幸(殺人や自殺や離婚など)な要素を含んだ内容へ無意識に注意が向き、「生きていても仕方がない」という自動思考が生じるかも知れません。
そして、この自動思考は抑うつ的な気分を助長させたり、「不登校」「自殺」といった行動に結びついたりするかもしれません。
認知行動療法によってスキーマを変えることは可能か?
認知行動療法によって、認知バイアスのみならず、非適応なスキーマも修正出来ることが理想です。
ですが、スキーマは遺伝的素因や、過去の経験などの蓄積によって形成されているものなので、そう簡単に修正できるものではありません。
なので、まずは認知バイアスに焦点を当てて、適切な自動思考が生じるようトレーニングしていきます。
そして、認知バイアスが修正されて適切な自動思考ができるようになった後に、その延長として非適応的スキーマを適応的スキーマに変えるトレーニングにも挑戦するという流れになります。
個人的にポイントだと思うのは「自身のスキーマが認知バイアスを生み出す根源である一方で、認知バイアスが修正されることもスキーマの変化に繋がる可能性を持っている」ということです。
これは、認知バイアスの修正を訓練することで、徐々にスキーマであったり人格であったりにも間接的に変化を及ぼすことが出来るという点で重要だと思います。
スキーマの探し方
スキーマは自動思考以上に意識にのぼることのない存在です。
なぜなら、その人にとって自明の「生き方のルール」のようなものだからです。
そして、一つのスキーマからは(認知バイアスを介して)一つの自動思考が生みだされるわけではなく、その時々の場面において多様な自動思考が生みだされます。
例えば「発表会での緊張により、途中で言葉に詰まった」という場面から「途中で言葉に詰まるなんてすべてが台無しだ」という自動思考が生みだされたとします。
また、「自分の役割だと思って一生懸命こなしている家事を、夫が代わりにこなしている」という別の場面では「私が頼りないから、夫が呆れて家事に手を出してきたのだ」という自動思考が生みだされたとします。
更に、「友人の誕生日にプレゼントを贈ろうとしたら、1日遅れてしまった」という場面では「当日に届かなければ意味がない。こんな当たり前のことが出来ないなんて、私はだめな人間だ」という自動思考が生みだされたとします。
これらはどれも、「すべてを完璧にこなさなければならない」という一つのスキーマから派生した自動思考と言えます。
そのため、自身のスキーマを探るためには、生み出された複数の自動思考を並べてみて、その共通点を見つけることで発見が理屈上は可能となります(簡単ではないかもしれませんが)。
スキーマの変え方
自分のスキーマが捜せたら、その妥当性を検証していきます。
また、妥当性を検証する際には、認知バイアスを修正する際と同様に、なるべくスキーマのメリット・デメリットを考えていくことが大切となります。
スキーマは信念と言い変えることができます。
そして長年抱えてきた信念は、自身の拠り所でもあることも多く、であるならばメリットはすぐに思いつけてもデメリットはなかなか思いつかない場合もあります。
例えば、「人間は真面目で努力家でなければならない」という信念(スキーマ)を持っている人がいたとします。
そして、このスキーマによって仕事で成功を収めている場合は、この信念こそが自身の拠り所となります。
一方で、この信念を持っているが故に「自身と異なった信念を有しておりストイックになれない人」を許容できず軋轢が生じる原因になるかもしれません。
また、この信念を持っているが故に自身を律し過ぎて抑うつ傾向になってしまう可能性もあります。
だからといって、この信念は本人にとっては拠り所であり、容易に変えられるものではありません。
また仮に、このスキーマのデメリットを自覚したとしても、それはあくまで出発点にすぎず、そこから努力を繰り返すことで氷が溶けるかのごとく徐々に変わっていくものだと思います。
しかし容易ではないと言っても取りかからなければ始まらないので、非常に些細なことであってもデメリットと思われることがあれば迷わず書き記して整理してみることから取り掛かっていくことになります。
ここまで読んでわかるように、スキーマを変えるということは、自身で考え、気づいていくとい作業になります。
そのため、セラピストはクライアントをガイドすることは出来ても、スキーマを変えるのはあくまでクライアントの「自分自身を変えたい!」という能動的な態度と根気が必要ということになります。
終わりに
終わりに、『書籍:「原因」と「結果」の法則3』に記載されていた言葉を、スキーマに関する名言として引用しておこうと思います。
人間は誰しも、自分の心の奥底で、特定のものを愛し、それにしがみつき、それを養い続けています。
それが、そうするに値するものだということを、心の底から信じているからです。
そして、それを愛し、信じているために、人間は、それをいつも表現しながら生きています。
このようにして、人生はまさしく信念に従ってつくりあげられているのです。
内奥に根を張っている信念は、私たちの人生に決定的な影響を及ぼしており、
その信念が、偽り、あるいは真実の、どちらの中に固定されているかは、
私たちの口から出る言葉、人々に対する接し方、およびその他の様々な行いを通じて(それらのみを通じて)外の世界に明らかになります。
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