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徒手理学療法におけるクリニカルリーズニングの前提条件

痛みに対する徒手理学療法(マニュアルセラピー)を行う際に、個人的に大切だと思うポイントを(中枢神経系の関与を中心に)コラム形式で解説しています。

一読して頂けると幸いです。

 

 

着目すべきは機能障害

手術や投薬が出来ない理学療法士が病理(関節変形・靭帯損傷・肉離れなど)へ介入できることは限られている。


また、仮に医師のように病理へ介入出来たとしても、必ずしもクライアントの症状を改善できるとは限らない。


なぜなら、クライアントの症状と病理が一致しないことは多々あるからだ。


椎間板ヘルニアや変形した関節の画像所見と、実際の機能が必ずしも一致しないのが良い例である。


仮に病理学的なものと臨床所見がすべて一致しているのであれば、手術などで治すのは簡単だ。


しかし、実際には一致しない。

 

これらのことから、私たち理学療法士は病理から考えるより、まずは機能から評価し、その機能障害の確認のために病理(画像所見など)をチェックする流れが望ましい。


これとは逆の流れでは、病理を知ることによる先入観が働いてしまい、クリニカルリーズニングによる見落としが増える可能性があるからだ。


もちろん我々セラピストは、医師の指示のもとで理学療法を提供する以上、病理という先入観を持ちやすい。


椎間板ヘルニア(ヘルニアが原因)、脊柱管狭窄症(脊柱管の狭窄が原因)、変形性関節症(骨の変形が原因)、腱板損傷(腱板の損傷が原因)、腱鞘炎(腱鞘の炎症が原因)など、「何らかの診断がなされた上での理学療法」となるからだ。


しかし、その様な場合においても、「この人はヘルニアだから痛いのか・・・」などの病理学的思考は脇におき、(なるべく真っさらな状態で)機能を評価すべきだということだ。

 

理学療法士は病理ではなく、機能障害に着目して介入すべきであり、


この「着目すべき機能障害」の中には、末梢組織のみならず中枢神経系も含まれることも忘れてはならない。


そして、仮に中枢神経系の問題が優位であった場合、末梢組織による介入は二の次ということになる。

 

以降のコラムは、そんな「中枢神経系」に着目することの重要性について述べていく。

 

 

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中枢神経系を考慮しないとクリニカルリーズニングが機能しなくなることがある

例えば、交通事故による被害で一年以上ムチウチによる痛みに悩まされているクライアントがいたとする。


このクライアントは「何で自分がこんな目に合わなければならないのか?」という怒りを持っているかもしれない。
また、「この痛みはいつまで続くのか?」「辛くて休職したとしても会社をクビにならないだろうか」といった不安を抱えているかもしれない。
あるいは、ムチウチ当初の激痛が記憶にこびりついており、特定の動作を今でも恐れているかもしれない。

 

そして、このような「負の情動」は抑うつ傾向に繋がりやすい。

 

事実、慢性疼痛を抱えたクライアントは抑うつ傾向も有し易いとされており、抑うつ傾向は活動の狭小化につながるばかりか、疼痛抑制系のメカニズムに関与している脳部位を萎縮させてしまうとも言われている。
また、抑うつ傾向を含めた多くの情動的側面は、脳の認知的側面にも影響を及ぼすもと言われている。

 

そうなると、痛みが改善傾向であっても「ちっとも良くならない」「どんどん悪くなっている」といった『記憶のバイアス』、本当は楽しんだり熱中したりできるものがあるにも関わらず痛みばかり気になってしまうという『注意のバイアス』、様々な事象に対しての受け止め方がネガティブな方向にばかり向いてしまう『解釈のバイアス』、といった『認知バイアス(認知の歪み)』が生じてしまうということがある。

関連記事⇒『HP:認知バイアスとは

 

あるいは痛みを強く訴えることで、「いつもよりセラピストが親身に話を聞いてくれた」「いつもよりマッサージ時間を延長してもらえた」などを報酬として感じてしまうと、『痛み行動』として過剰な痛みを演出してしまうかもしれない。

 

そうなると、問診の段階でセラピストが入手できる情報は、痛みの感覚的側面のみならず、情動・認知的側面が複雑に加味されている可能性も否めない。

 

もちろん、問診のみならず以降の評価・再評価の際にもこれらの影響は常に付きまとうため、単純に痛みの感覚的側面のみに注意を払っていては、誤った仮説を立ててしまったり、つじつまが合わなくなったりといった事が起こってしまい、クリニカルリーズニングが上手く機能しなくなってしまうことがある。

 

 

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痛みが脳でつくられる?

ここまで「痛みの感覚的側面」が、情動的側面や認知的側面によって複雑に修飾されてしまう可能性を示してきた。

一方で、極端な事例として、痛みが中枢神経系だけで作られることもあることが分かっている。

つまり、「脳により痛みが修飾されている」のではなく、どうやら「本質的に脳で痛みが作られている」という事例も存在するようだ。

 

しかし「痛みが脳でつくられる」と言われても信じられない人もいるのではないだろうか?


そんな人は、ぜひ幻肢痛の存在を思い出してみてほしい。

 

『四肢の切断を何らかの理由で余儀なくされた場合、しばらくの間、失ったはずの手足が残存している感覚が残る場合があり、これを幻肢(phantom limb)と呼ぶ。そして幻肢に伴う痺れ・刺痛・絞扼痛などの様々な形で現れる痛みのことを幻肢痛(phantom limb pain)と呼ぶ。 ~南山堂医学辞書より~』


幻肢痛は理学療法士では国試レベルの知識だし、クライアント自身が訴えているものなので、存在していることは事実だろう。


幻肢痛の原因は様々言われているが、四肢自体が存在していない以上、末梢組織ではなく中枢神経系が影響していることは明らかだ。


この様に私たちは、「四肢が存在していないのに、四肢が痛い」という明快な事例であれば中枢神経系の影響を信じることができるのだが、(下手に?)四肢が存在している場合では、痛みを訴えている部位にのみ原因があると思ってしまいがちである。


しかしながら、幻肢痛が存在する以上、「クライアントの訴えている症状の原因が、(訴えている部位ではなく)中枢神経系にあるかもしれない」という考えは、飛躍していると言えるだろうか?

 

 

このような「脳によって作られる痛み」は科学的にも証明されている。
例えば、急性痛を有したクライアントのfMRIを診てみると、痛み刺激は必ず視床を通るので、その部分が赤く表示される。
しかし、中枢神経系の問題が生じているクライアントのfMRIは視床部分が全く赤くなっていない場合がある。
これは、末梢からの上行性の情報を一切受けておらず脳だけで痛みが生じてしまうことがあるという証明になる。
つまり、損傷組織はすでに治っているにもかかわらず中枢神経系の影響ために、痛みを感じ続けていると言える。
そして、このような状態では、末梢組織にアプローチをしても、効果が得られにくいのは明らかだ。

 

※ここでは極論として「脳で作られる痛み」について述べているが、臨床においては「原因は中枢か末梢か」という二元論ではなく、これらが複雑に絡み合っているケースが大半であることは言うまでもない

 

『池本らは健常者とアロディニアをもつ神経因性疼痛患者に対して機械的刺激を加えた際の脳活動の違いをfMRIを用いて分析している。その結果、患者群ではVASの値が健常者よりも高い結果であったが、痛みの伝導経路である脊髄視床路が終末する視床の活動性が検出されなかったことを報告した。アロディニアの発症メカニズムとして、脊髄神経細胞の感作や可塑的変化、一次感覚線維の発芽が考えられているが、視床は感覚の中枢核でもあるにもかかわらず、その場所に活動がみられなかったことは、それよりも上位の中枢神経が可塑的変化を起こしていると同時に、アロディニア患者においては、脳機能によって痛みを増大させている可能性が考えられる。~書籍:ペインリハビリテーション より引用~』

 

 

そうなると、中枢神経系の優位性を十分に評価できる指標はあるのかということになるのだが、徒手理学療法学会の研修では、簡便な方法として『ランススケール』というものを紹介してもらったことがある。

あるいは、『KeelのStarTスクリーニングツール(StarT Back test)』という腰痛の評価ツールが存在したりする。
もちろん臨床経験を積むことで、中枢神経系の優位性について感覚的につかめてくることもあるかもしれないが、こういう指標もあるということである。


世界では、ランススケールやStarT Back test、その他諸々の指標によって、中枢神経系の優位性が低いことを証明できていないと、慢性痛症に対する徒手理学療法の症例報告として認められないことすらあるという。


例えば、「○○というアプローチで改善した」と発表したところで、中枢神経系の影響が除外されていなければ、報告者の末梢組織に対するアプローチが正しかったかを証明できないということだ。


これらのエピソードは、いかに痛みにおける中枢神経の影響が世界的に重要視されているかを物語っている。

 

 

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プラシーボ(プラセボ)効果の功罪

中枢神経系の優位性が低いことを証明できないと、徒手理学療法の症例報告として認められないことすらあると述べてきた。

 

では、なぜ優位性が低いと証明できなければ、認められないのだろうか?


それには『プラシーボ効果』という存在が関係する。

 

これまでのコラムで、「痛みの感覚的側面が認知・情動的側面によって増幅される可能性がある」ということを何度も述べてきた。
一方で、この発想を逆転させると「痛みの感覚的側面が認知・情動的側面によって軽減される可能性がある」ということも意味する。


そして、痛みの感覚的側面以外の影響(心理的影響など)によって鎮痛効果がもたらされてしまうことは、「手技によって本来もたらされる効果」に『プラシーボ効果』が加味されてしまっていると言える。
このことが、症例報告や、治療手技の有効性を検証する上で、「痛みが改善されたのは単なるプラシーボ効果なのでは」との疑念に繋がってしまうことになる。

 

こういった事情から、学会や症例報告の場では中枢神経系の優位性を確認する必要が出てくるのだと思われる。
つまり、「学術的側面(アプローチの優位性を判断するといった側面)」において、プラシーボ効果は「悪」なのだ。

 

一方で「臨床的側面」においては、この考えは真逆となり、プラシーボ効果は「善」を意味する。
なぜなら「クリニカルリーズニングによって導き出された適切な介入方法によってもたらされる効果」のみならず、そこに「プラシーボ効果」が加味された方が良いに決まっているからだ。


その意味において、認知・情動的な側面にも配慮しながら介入すべきだし、認知行動療法の概念も重要となってくる。

 

※関連記事

⇒『ブログ:理学療法士が知っておくべきプラシーボ効果とノーシーボ効果

⇒『HP:認知行動療法

 

 

 

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中枢神経系の重要度はクライアントによって異なる

慢性痛を有したクライアントは大なり小なり中枢神経系の問題を有している。


しかし、それは必ずしも「中枢神経系の問題が、慢性痛における優位な原因である」ということではない。

あくまで「その要素も持っている」という話である。

そして、中枢神経系の問題の優位性はクライアントによって異る。

 

優位性が低い場合は、中枢神経系を考慮せずにリーズニングをしたとしても、良くなる人はいるだろう。

一方で、優位性が高い場合は、末梢組織への介入効果が乏しいことも多く、むしろ『認知行動療法』の様に中枢神経系への働きかけが大切だったりということもあり得る。

 

重複するが、もし中枢神経系の影響が極僅かであれば無視しても良いかもしれないし、中枢神経系の問題が多くを占めているケースでは末梢組織へのアプローチは二の次かもしれないということだ。

 

例えば、認知行動療法における運動の位置づけは、「体を鍛える(末梢組織に働きかける)」というよりは、「認知・情動といった中枢神経に働きかける」といった側面が強い。

関連記事⇒『ブログ:腰痛・治療革命 ~見えてきた痛みのメカニズム

 

また、中枢神経系の影響が優位なクライアントに対して中枢神経系に着目したアプローチをしたら症状が全て改善するとは限らない。

 

中枢の問題が収まってくると、その段階になって末梢組織の機能障害が浮き彫りになってくることも多く、その段階での末梢組織への介入は重要となってくる。

 

 

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慢性痛症への暴露

痛みは感覚的側面のみならず、情動・認知的側面も持っている。
そんな慢性痛症に対して、私たちはどの様に接していけば良いのだろうか?

 

例えば、このような中枢神経系の問題を有している人の中には、「皆は私の痛みが大したことないと思っているに違いない」という不安感にさいなまれている人もいる。
「痛いのは私にしかわからないし、理学療法士もきっと疑っているに違いない」とうっすら思っていたり、中には確信を持っている人すらいるかもしれない。


同時に、「この様な行為は体に悪い(痛みを誘発する)はずだ」といった過剰な不安―恐怖回路に支配され、自らの行動を制限してしまい、活動の狭小化⇒廃用⇒痛みの増悪⇒抑うつ傾向⇒悪循環といったサイクルを辿っている最中な人もいるかもしれない。


あるいは、痛みによって「家族に労わってもらえた」「損害賠償請求が出来る」「会社を休める」などといったメリットが、当人の意識・無意識に関わらず、『痛み行動』に繋がっている人もいるかもしれない。

 

 

そして、これらの複雑な要素が絡み合った慢性痛を、感覚的な側面のみで捉えてしまいがちなクライアントに対して、痛みにおける多面的な要素を伝えることは大切となってくる。

 

ただし、伝える際は「あなたの痛みは我々にとって十分理解できるしっかりした痛みである」ということを十分伝えた上で、中枢神経系の問題ついてクライアントがナーバスにならないように慎重に言葉を選びながら説明する必要がある。

 

例えば、クライアントに対して「あなたの原因は脳にあります」などとストレートな表現をしてしまうととどうなるだろうか?

それでなくてもナーバスになっているクライアントに対して、そんなことを言うと「私の頭が悪いってことか?」とか「私が嘘を言っていると思っているのか?」などと誤解したり、激怒したりするかもしれない。

 

この様に段階を踏まずに原因をカミングアウトすると、暴露が少しでも大きかった瞬間に、クライアントはものすごく怒りだしたり、ものすごく痛み出したり、意味の分からない痺れが出現したり、麻痺が生じたりすることすらあり得る。
そのため、非常に慎重に『暴露(段階的暴露)』をしていく必要がある。

 

また、痛みの理解には上記のようなデリケートな側面も含まれているため、(冷静に理解してもらう上でも)口頭での説明ではなく、簡単な冊子を作って手渡したり、分かり易い動画を観覧してもらったり、読書療法を促すことで『間接的に』中枢神経系の影響にも気づいてもらうのも良いのではないだろうか?


ここでは、痛みに関する分かり易い動画や・読書療法に適した書籍を記載しておく。
関連記事⇒『ブログ:「読書療法」と「動画(ドイツ子供痛みセンター作)で分かる痛みの対処法

 

 

 

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クリニカルリーズニングで考慮すること

このコラムの主張を一言でまとめるなら「徒手理学療法を展開していく際は、中枢神経系の優位性も考慮しなければならない」ということだ。

 

そして、この主張は(まっとうな?)徒手療法を学び、臨床経験も十分積んだ理学療法士ならば当り前な内容であり、それらの方々にとっては読むに値しないコラムだったかもしれない。


しかし、徒手理学療法を学び始めた初学者はどうだろう?


初学者は、臨床経験が浅いが故に「痛みは感覚的側面のみであり、末梢組織による影響が全てである」と思っている可能性もあるのではないだろうか?


そして、(まっとうな?)研修会であっても徒手的理学療法の実技(末梢組織に対するクリニカルリーズニングも含む)がほとんどで、このコラムに記載したような内容は含まれていないことが多い。


ただし、(まっとうな?)研修会がこれらの内容を伝えないのは、中枢神経系を軽視しているわけではなく、徒手理学療法を学ぶ上での「前提条件」になっているからだ。
なので、初学者は研修で学んだ『末梢組織へのアプローチ(クリニカルリーズニングも含む)』と『臨床での実践』との行間に『中枢神経系の優位性はどの程度か』という思考も自発的に入れ込んでいく必要があると言える。

 

このように、研修と臨床の間に存在する「行間」が読めていない場合、結果が出せず混乱をきたすことにもなりかねない(もちろん技量的な問題も影響しているかもしれないが)。

 

 

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痛みの定義と注釈

最後に、今までのコラムの内容を補完する意味で、国際疼痛学会における痛みの定義と、その注釈を記載しておく。 ~「痛みと鎮痛の基礎知識(上) 」より~

 

 

痛みの定義:

 

痛みは、実質的または潜在的な組織損傷に結びつく、あるいはこのような損傷を表す言葉を使って述べられる不快な感覚・情動体験である

 

 

 

痛みの定義の注釈:

 

痛みはいつも主観的である。
各個人は、生涯の早い時期の損傷に関連した経験を通じて、この言葉をどんなふうに使うかを学習している。
生物学者は、痛みを惹起する刺激は組織を損傷し易いことを認識している。
したがって、痛みは実質的あるいは潜在的な組織損傷と結び付いた体験である。
痛みは身体の一か所あるいは複数個所の感覚であることは確かであるが、いつも不快であるので、痛みは情動体験でもある。
痛みに似ているが不快でない体験、例えばチクチクした感じは、痛みと呼ぶべきではない。
不快な異常体験(異常感覚)も、痛みであるかもしれないが、必ずしもそうとは言い切れない。
なぜなら、主観的にみると、それらが痛みの感覚特性を持たないかもしれないからである。
多くの人々は、組織損傷あるいはそれに相当した病態生理学的原因がないのに、痛みがあるという。
普通、これは心理学的な理由で起こる。
主観的な報告から、このような経験と組織損傷による経験とは、通常区別できるものではない。
もし彼らが自分の体験を痛みと思い、組織損傷によって生じる痛みと同じように報告するなら、それを痛みと受け入れるべきである。
この定義は、痛みを刺激と結び付けることを避けている。
侵害刺激によって侵害受容器及び侵害受容経路に引き起こされる活動が痛みであるのではない。
たいていの場合、痛みの主因は身体にあることを受け入れるにしても、痛みはいつも心理学的な状態である。

 

 

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