はじめに

例えばコップの中に水が半分残っている状態を
「もう半分しか水がない」と捉える人がいる一方で、
「まだ半分も水が残っている」と捉える人もいます。

これは「残っている水の量は同じでも、それをどう解釈するかは人によって異なる(偏りがある)」という事を意味します。

そして様々な状況を、「どう解釈するか」「どう受け止めるか」といった異なった反応によって、
同じ事象が全く違って見え、
全く異なった感情が芽生えます。

つまり、私たちの気分は「起こっている事象(例えばコップに半分水が残っているという事象)」自体によって決まるのではなく、
私たちがそれを「どう解釈しているか」「どう受け止めるか」によって決まると言い換えることができます。

 

認知バイアスとは

認知バイアスとは、簡単にいうと「思考(物事の見方や認識の仕方など)の歪み」を指します。
※認知バイアスは私たちが固有に持っているもので、2つとして同じものは存在しません。

認知バイアスが適応認知につながる場合は問題ないものの、非適応認知につながってしまった場合は、気分をつらくしたり、状況に適応しにくくなったりします。

そして、認知行動療法では「非適応認知につながる認知バイアスは修正することが望ましい」という考えのもとで認知バイアスをネガティブな意味で捉えることが一般的です。

しかし本来は、認知バイアスは良くも悪くも「認知の歪み」を指すため、人間のポジティブな側面もバイアスと捉えることができます。


つまり、冒頭の「コップに半分入っている水」をポジティブにとらえる場合・ネガティブにとらえる場合のどちらであっても、それは「認知バイアスを介した解釈」と表現できます。

なので、このカテゴリーでは認知バイアスを「ポジティブやネガティブなど様々な側面がある」という前提のもと、解説していきます。

 

注意のバイアス

私たちは、瞬間ごとに視覚と聴覚を襲う情報の嵐から、何に注目すべきか選択しています。

例えば、パーティーのようなガヤガヤした雰囲気の中でも、自分の名前を呼ぶ声が聞こえると反応することができたりもします(これはカクテルパーティー効果と呼ばれたりします)。

このような反応は「膨大な情報から自分が大切だと思う情報を瞬時に選択できること」を示しています。

そして、人間に備わっている「何に注目するか」を選ぶ力を『選択的注意』と呼びます。

ただし、「何に注目するか」は人によって偏りが生じており、「私たちが無意識に注目してしまう種類の偏り」を『注意のバイアス』と呼びます。

例えば、私たちは日常でもポジティブな事象・ネガティブな事象それぞれに、注意のバイアスが生じています。

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⇒『ブログ:注意バイアスの傾向

そして、抑うつ傾向の人は、ネガティブな事象に選択的注意が向きやすいとされ、結果的に事項で述べる『記憶のバイアス』にも結びついてしまう可能性があります。

抑うつ傾向の際は痛みに関しても注意のバイアスが生じてしまう可能性があり、常に痛みにばかり注意が向いてしまっている可能性もあります。

 

記憶のバイアス

私たちは、些細なレベルでも良いことや悪いことを体験しますが、その中で何を記憶にとどめるのかは個人差があります。

このように、「人生の様々な出来事において何を記憶に留めやすいか」の個人差のことを『記憶のバイアス』と呼びます。

例えば、うつ病患者さんはネガティブな体験を記憶にとどめるという強いバイアスが生じやすいこと分かっています。

したがって、「良いことは忘れてしまい、悪いことばかり鮮明に覚えてしまう傾向がある」ということになります。


※反対に楽天的な人は楽しいことばかりを覚えている傾向が強いことが分かっています。

こうした記憶のバイアスは、本人は自覚しておらず、大抵の場合は無意識に作用するとされています。

私たちの臨床においても、問診時におけるクライアントの発言には、(良くも悪くも、その人固有の)記憶バイアスが生じていることを念頭に入れておかなければなりません。

そして、痛みを有している際は、痛み感覚に負の情動も付随していることや、慢性痛では抑うつ傾向も伴っている可能性から、ネガティブな内容に偏った記憶を形成している可能性も考慮する必要があります。

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⇒『ブログ:記憶のバイアスに関する実験

また、自分の痛みに関する記憶バイアスを自覚し、修正するために『痛み日記』は非常に効果的とされています。

 

人間の信念について

ここまで示した『注意のバイアス』・『記憶のバイアス』(何に注目し何を思い出すか)を介した自動思考の積み重ねは、人がどんな『信念』を持つかに大きな影響を及ぼします。

ここで言う『信念』とは、心理学でいうところのスキーマに該当し、深層心理の根底にあると同時に、人格形成にも大きな影響をおよぼすと考えられています。

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⇒『HP:スキーマ』も参照

また、認知バイアスや信念は幸福度や健康にも影響を与えると言われています。

特に健康に関して、何を信じるかによって肉体に物理的な変化を生じさせ、病気さえ引き起こしてしまうという点は、多くの臨床において報告されている事実であり、医療従事者にとっても重要なポイントといえます。

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⇒『ブログ:理学療法士が知っておくべきプラシーボ効果とノーシーボ効果

また、『信念』は後述する『確証バイアス』であったり『解釈のバイアス』であったりと相互に影響し合っています。
それと同時に、前述した『注意のバイアス』や『記憶のバイアス』を更に強化していき、これら多くの認知バイアスが更なる信念の強化に繋がっていきます。

そして、このような循環を繰り返すことは、良くも悪くもその人の『人格形成』に寄与していくことになります。

もちろん、どの様な人格が形成されるかは「そもそもの遺伝的素因」や「人生において何を経験してきたかといった環境的な要素」に大きく左右されますが、それに付随する「認知バイアスの蓄積」も大きく関与しています。

そして、「遺伝的素因」や「(一部の)環境的な要素」は自身で変えられないものの、「認知バイアス」は自身でも修正可能な点であることは、人格形成をポジティブに考える上での重要なポイントだと言えます。

 

信念に大きな影響を受ける『確証バイアス』

『確証バイアス』とは自分の考えに合う都合の良い情報だけを集めてしまうことを指します。

この確証バイアスは、前述した「自分自身が何を信じているか」といった信念に大きく影響を受けます。

例えば「女性は車の運転が下手だ」という信念を持っている人は、その信念を女性ドライバーの悪例を数多く目にとどめることで確認しようとします。

一方で、運転が下手な男性や、運転が上手な女性を目にしても、それは認識をすり抜けてしまいます。

つまり、その人の核にある信念に合致しない物事は、目の前にあっても認識されないのです。

あるいは、結婚している人で、「結婚が幸せなはずだ」という信念を持っている人は、メディアに流れる結婚に関するポジティブな話題をキャッチする一方で、ネガティブな話題は受け流すかも知れません。

他方で、結婚していても夫婦仲が悪く離婚を切り出したい人は、「結婚はするものではない」などの信念が形成されている可能性もあり、そうなるとメディアに流れる結婚に対するネガティブな話題をキャッチする一方で、ポジティブな話題は受け流すかも知れません。

この様に、確証バイアスは、自分が何を信じているかという『信念(スキーマ)』に大きく左右され、それと同時に確証バイアスを介した思考が更なる信念の強化につながっていきます。

これらのことからも、信念のシステムは私たちが何を認識し、何を認識しないかの決定に大きく関与するといえます。

そして、その信念自体は、「私たちがまず何を認識したか」といった『注意のバイアス』にかなりの度合いで左右されています。

 

確証バイアスは適応認知にも非適応認知にもつながる

人は信念があるからこそ、億劫にならずに行動へ移せる側面を持っています。
そのため、何かに熱中する必要がある際は、時としてこの過剰なまでの確証バイアスは追い風となることもあると思われます。

例えば東大を目指す際は
「学歴がすべてではない、友人と青春を楽しむのは今しか出来ずそれこそが財産だ。はたして、ガリ勉するのは正しいのだろうか」
などといった多様な思考を巡らすことは、勉強へのモチベーションが低下してしまいまう可能性と持っています。

「東大合格こそがこそが全て!青春なんか必要ない。東大に入れば幸せは必ず手に入る!」 
実際はそんな訳ではなく、東大に入っても精神的に病んでしまったり、不幸に陥ってしまう人も多かったりするわけですが、この過剰なまでの確証バイアスが原動力となることで、はじめて東大に合格できるという事もあると思います。

徒手理学療法においても、同様に「信念を強固にして確証バイアスを強めておくこと」にメリットがある場合があります。

例えば「高額な受講料を支払ってしまったは良いが、単なるプラシーボ効果な可能性が強い」という点に気づいてしまった場合です。
つまりは、「今更、メタ認知を働かせて矛盾点に気付いたところで、後には引き戻せない程に、その道に深く踏み込み過ぎてしまった人達」は、確証バイアスを強めたほうが良い場合もあります。

それらの人達は、自身の信念をブラそうとは考えず、信念を強固にした方がよいでしょう。

一方で、確証バイアスを強めることによる弊害に関する記事は、以下にまとめているので参考にしていみてください。

⇒『ブログ:ボトムアップ・トップダウン評価の違いや特徴

 

解釈のバイアス

私たちの周囲には曖昧さがあふれています。

そのため、いかようにも解釈が可能な出来事に日々出会っており、それらを各々のフィルターを通して解釈をしています。

そして、様々な出来事を解釈する際のフィルターのことを『解釈のバイアス』と呼びます。

例えば、あなたが職場で一人だけ遅くまで残業を頑張ったとします。

そして翌朝、上司に一言「おまえ、昨日遅くまで仕事してたんだってなぁ」と話しかけられたとします。

あなたは、この上司の言葉をどう解釈するでしょうか?

「遅くまで頑張ったことを労ってくれた」と解釈しますか?
それとも
「わざわざ遅くまで残らなければ仕事が終わらないことを非難された」と解釈しますか?

あるいは、仕事の割り振りで上司から「楽な仕事だから、おまえはこれをやっておいて」と言われたとします。

あなたは、この上司の言葉をどう解釈しますか?

「自分を労わってくれて、楽な仕事を回してくれた」と解釈しますか?
それとも
「おまえは無能だけど、この程度の楽な仕事ならこなせるだろう」と解釈しますか?

上記の例で示した上司の一言だけでは、どのような意図で発せられた言葉なのかは分からないものの、
私たちは自分達が思うような解釈をしてしまいます。

この様に、曖昧さの溢れた世界において、私たちは自身の解釈のバイアスによって全く異なった世界を作り出しているということになります。

※ちなみに、このカテゴリーの冒頭で示した「コップに半分水が入った状態を多いと考えるか少ないと考えるか」といった認知バイアスも、解釈のバイアスに該当します。

そして、抑うつ傾向の人は、曖昧な事象に対してネガティブな解釈をしてしまいやすいとされています。

解釈のバイアスは非常に多くの種類に再分類することができ、その中に『帰属のバイアス』というものがあります。

これは「悪い出来事が起こった際に、自分に原因を求めるか、自分以外(環境や他人)に原因を求めるかといったバイアスのことで、個人的には興味深いバイアスの一つです。

関連記事
⇒『ブログ:帰属のバイアス

 

認知技法で認知バイアスを探してみよう

認知技法を用いることで、クライアントの物事に対する偏った考え方や気持ちの原因となる自動思考(+スキーマ)について検討し、それらが実際にクライアントの考えや行動にどう影響しているか判別することで、現実とのずれ(認知バイアス)に気づき、心理のバランスを取り戻すことができます。

認知技法のポイント

  • 認知(思考・考え方)の存在に気付かせる。
  • 認知が自己の感情と行動に影響を及ぼすことを気付かせる。
  • エピソードを取り上げて認知と行動とお関係を気付かせる。
  • 自動的な思考パターンに気付かせる。
  • 否定的で自動化された思考をモニターさせる。
  • 歪んだ自動思考に当てはまる事実から現実性と妥当性を検討させる。
  • 歪んだ認知を現実的な説明に置き換えることで解決できる方法を探索させる。

ここでは認知バイアスを探す技法として、「認知再構成法」「ソクラテスの問答」という方法を紹介します。

認知バイアスを探すということは、自身の思考の歪みに気付くということであり、これらの手法自体が治療にも繋がります。
また、これらの手法は、認知のバイアスを作り出しているスキーマ(中核的信念)を探索することにも繋がっていきます。

 

最後に

幕末の志士の一人であった高杉晋作は、29歳で死ぬ間際に以下のやり取りをしたとされています。

「おもしろき こともなき世におもしろく」

ここまで言って息が苦しくなり、続きが出なくなると、そばで看病をしていた野村望東尼が彼の意をくみ言葉を続けました。

「すみなすものは、心なりけり」

すると、これを聞いた高杉晋作は満足げにうなずいて、息を引き取りました。

高杉晋作が生きた幕末は、理不尽なことばかりであり、面白いことなど転がっていない時代でした。

しかし「そんな世の中であったとしても、自分の心(気持ち)次第で面白く出来るはずだ」という思いが、この言葉に込められています。

これは即ち、自身の心のフィルターである認知バイアス次第で、自身の主観は如何様にも変えられることを物語っているのではないでしょうか?

以下は『書籍:セラピストの動きの基本―運動器リハビリテーション新時代』から引用した内容ですが、これらは私たちが陥り易い言認知バイアスの例を分かり易く表現してくれていると感じます。

客観的事実と言っても、それは見る人によって色々に解釈されて、何が真実か分からなくなってしまうことがある。

同じ事件でありながら、新聞によって報道の内容が異なることがしばしばあるが、これは記者の見方が異なるから起こることである。

このように認知の仕方が重要な影響を及ぼすこともある。
同じ惨事に出会っても、何とかなると認知する人と、もうだめだと認知する人とではその後の行動が著しく異なってくるであろう。

物事を正しく認知するか、間違って認知するかは、気づきにも影響する。
先入観に支配されて物事をみていると、それにそぐわないことは見逃されてしまう。

このように認知の仕方で真実を歪めてしまうことを『認知バイアス』という。認知バイアスを起こしやすい条件をいくつか挙げてみる。

①ある事件について、一人ずつ順次意見を求められて、皆が同じ意見だと、最後に異なった意見を言うことが難しくなる。

②1人の場合は穏健な意見持ち主でも、集団の中に入ると極端な行動をとることがある。集団の中にいると無名性が起こるためである。

③嫌なことは認めたくないということがある。自分の欠点についてはその傾向がある。

④不確かな事態の時には、認知バイアスが起こり易いと言える。何に基づいて判断したら良いか分からないと、とかく集団の意見が判断の基準になり易い。

⑤ハロー効果、あるいは光背効果ともいう。仏像の後光の事で、専門家など偉い人の意見が正しいと思われること。「この分野の第一人者の意見である」と言われると他の意見は無視される。

⑥認知的不協和理論とは、心理学者のレオン・フェスティンガーが主張した理論で、相反する情報を得た時に、認知に矛盾(不協和)が生じ、不快に感じるが、人はこの不協和を解消しようとして動機づけられるか、またはそのような不協和を起こす情報を遮断しようとするものである(関連記事⇒(ブログ)認知的不協和って何だ?

最後に、私の好きな書籍でもある『7つの習慣』から自分の戒めにもなっている言葉を引用して終わりにします。

誰しも、自分は物事をあるがままに、客観的に見ていると思いがちである。

だが実際はそうではない。

私たちは、世界をあるがままに観ているのではなく、

私たちのあるがままの世界を見ているのであり、

自分自身が条件付けされた状態で世界を見ているのである。

何を見たか説明するとき、私たちが説明するのは、

煎じ詰めれば自分自身のこと、自分のものの見方、自分のパラダイムなのである。