この記事では、認知バイアスの一つである「帰属バイアス」に関して記載していく。
帰属バイアスとは
帰属とは「付くこと」「従うこと」などを意味し、例えば「会社に帰属する」などの表現に用いられる。
そして心理学における『帰属』とは、以下を指す。
何らかの出来事・他人の行動・自分の行動の原因を説明する心理過程を示す際に用いられる用語
帰属には以下の2パターンが存在する。
①内的帰属:
何らかの事象の原因は、個人の性格や態度や特質や気質のせいであると思考する。
②外的帰属:
何らかの事象の原因は、行動が行われた周囲の状況であると思考する。
例えば、あなたが歩いていて、人にぶつかったとしたら、
「よそ見をしていた自分が悪い」と思うだろうか?
「ふらふらと歩いている相手が悪い」と思うだろうか?
あるいは、あなたが石に躓いて転倒したとしたら、
「足場を注意していなかった自分が悪い」と思うだろうか?
「チクショー!石のバカ野郎!何でこんな所に転がっているんンだ?」と思うだろうか?
上記で示した例からすると、前者は内的帰属(自分のせい)、後者は外的帰属(周囲のせい)ということになる。
上記の例では、「人にぶつかった」「石に躓いた」と客観的に表現することが出来るのだが、
この客観的事実を内的・外的どちらの帰属に解釈するかで、全く異なった感情や行動が導かれてしまうことになる。
そして、内的・外的どちらかの帰属へ偏って解釈してしまうことを『帰属のバイアス』と呼ぶ。
※帰属バイアスは、『帰属の誤り』や『対応バイアス』とも呼ばれる。
「他者に悪い事象が生じた際」の帰属の誤り
一般的に「他者に悪い事象が生じた際は、内的帰属として思考し易い傾向がある」とされている。
例えば、職場の同僚Aが患者さんを転倒させてしまった場合に、あなたが「(患者さんではなく)同僚A自身に原因がある(Aが患者さんの能力を見誤った・Aが不注意だった・Aの介助が下手だったなど)」と考えてしまうケースなどだ。
これは、私達が他者の行動の原因を判断しようとするとき、判断の元になる情報は、判断する人自身が知ることのできる情報に偏りがちなために生じるとされている。
他者に起こった事象の原因を判断する際には、その人の行動に影響を与えたはずの外的な要因についての情報は、自身の行動の原因を判断する場合に比べて、圧倒的に少ないものだ。
他者に関して得られる情報が少ない(偏っている)ため、他者の状態を認知する際に大きな影響を与えてしまう。
もしかしたら、患者さんの心理状態や痛みや不注意によりいつもとは全く異なった状態であったことが原因(外的帰属)であり、同僚Aが細心の注意を払っていても防げなかったのかもしれない。
しかし、偏った情報しか持っていない私達は、帰属のバイアスにより、同僚A自身が転倒の原因だと考えてしまいやすいとされている。
この例のように私たちは、他者に悪い事象が起こった際に、内的な性質などの要因を過大評価し、外的状況の要因を過少評価する傾向にあるとされている。
「自分自身に悪い結果が生じた際」の帰属の誤り
一般的に「自分自身に悪い事象が生じた際は、外的帰属として思考し易い傾向がある」とされている。
例えば、自分自身が患者さんを転倒させてしまった場合、自分自身ではなく患者さん側に原因があると考えてしまうケースなどだ。
これは自分自身に悪い結果が降りかかる際の状況や環境などの外的事情は、自分には良く分かっていることが一因とされているが、それ以外にも様々な要因が絡んでいると言われている。
例えば、自分が担当している患者さんが「普段は見守りで歩行可能なレベル」であるにも関わらず、何故か急な膝崩れを起こして転倒してしまったとする。
その点を不審に思って、患者さんに「膝崩れを起こして転倒した原因」を聞くと下記のような発言があった。
「実は昨夜、一人で勝手に歩こうとして転倒した。そのため痛みで足に力が入りにくいが、怒られたくないので誰にも話さず黙っていた。歩くのは問題ないと勝手に判断してしまった。」
このケースの場合、患者さんが正直に昨夜の出来事を話してくれたら転倒しなかったという思考から、あなたは「転倒は自分以外に原因があった(=外的帰属)」と思考するかもしれない。
他方で、「もっと自分が信頼関係を築けていたら正直に話してくれていたかも」「リハ前にもっとコミュニケーションをとってから開始していたらよかったかも」と自身を内省することも可能なはずだ。
しかし、一般的には「自分自身に悪い結果が生じた場合は自分以外のせいである」との(外的な)帰属バイアスを介して解釈してしまう傾向にあるようだ。
敵意帰属
「相手の行為が自分に対するネガティブな思いや敵意に基づいているのかと推測してしまうこと」を『敵意帰属』と呼ぶ。
例えば、間違いなく送信したメールがいつまで経っても返ってこないとか、LINEの既読スルーなどについて「相手は忙しいのだろう」と思えれば、特に気にはならないだろう。
しかし、以下の様に考えてしまうのが『敵意帰属』である。
この様な『敵意帰属』は誰しも一度は体験したことがあるのではないだろうか?
帰属バイアスの個人差
そして、これら帰属のバイアスには個人差があり、ネガティブな出来事が起こった場合に極端な人では、
「どんな事象であっても、自分以外に原因がある」と解釈してしまう人もいれば、
「どんな事情であっても、原因は全て自分にある」と解釈してしまう人もいる。
※自己中な人は前者の帰属バイアスを有しやすいとされている。
※抑うつ傾向の人は後者の帰属バイアスを有しやすいとされている。
そして、前者の帰属のバイアスを修正する方法としては、
- 相手の立場になって、自分ならどうしていたかを考える
- 自分が得ている情報以外で、顕在化していない要因の関与についても思いを巡らす
などの手段が考えられる。
ただし、あまり深く考えずとも「誰もが帰属のバイアスを有している」という自覚を持つだけで、自ずとバイアスが修正されていくこととなる。
そして、様々な事象に対して可能な限り客観性を高めて、内的・外的帰属をバランスよく解釈することが社会生活を送る上で理想とされている。
パラダイムシフト
最後に『書籍:7つの習慣 初版』から、この記事を理解しやすい内容を引用して終わりにする。
ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で体験した小さなパラダイム転換を、私は忘れることが出来ない。
乗客は皆、静かに座っていた。
ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んでいた。
全ては落ち着いて平和な雰囲気であった。
そこに、一人の男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。
すぐに子供たちがうるさく騒ぎだし、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。
しかし、その男性は私の隣に座って、目を閉じたまま、周りの状況に全く気付かない様子だった。
子供たちといえば、大声を出したり、物を投げたり、人の新聞まで奪い取ったりするありさまで、何とも騒々しく気に障るものだった。
ところが、隣りに座っている男性はそれに対して何もしようとはしなかった。
私は、いらだちを覚えずにはいられなかった。
子供たちにそういう行動をさせておきながら注意もせず、何の責任もとろうとしない彼に態度が信じられなかった。
周りの人たちもイライラしているように見えた。
私は耐えられなくなり、彼に向かって非常に控えめに「あなたのお子さんたちが、みなさんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることは出来ないのでしょうか」と言ってみた。
彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気が付いたかのような表情になり、柔らかい、物静かな声でこう返事した。
「ああ、ああ、本当にそうですね。どうにかしないと・・・。たった今、病院から出てきたところなんです。一時間ほど前に妻が・・・、あの子たちの母親が亡くなったものですから、一体どうすればいいのか・・・。子供たちも混乱しているみたいで・・・」
その瞬間の私の気持ちが、想像できるだろうか。
私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。
突然、その状況を全く違う目で見ることが出来た。
違って見えたから違って考え、違って感じ、そして、違って行動した。
今までのイライラした気持ちは一瞬にして消え去った。
自分の取っていた行動や態度を無理に抑える必要は無くなった。
私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出たのである。
「奥さんが亡くなったのですが。それは本当にお気の毒に。私にできることはないでしょうか?」
一瞬にして、すべてが変わった。
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