認知バイアスは、人の認知に影響を与える。

 

その結果、同じ事象であっても、ポジティブにとらえる人もいれば、ネガティブにとらえる人も出てくることとなる。

 

今回は、そんな認知バイアスによって生じたネガティブ思考・ポジティブ思考について記載していく。

 

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目次

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ポジティブ思考VSネガティブ思考

 

ネガティブ思考の弊害はよく耳にする。

 

ネガティブ思考は、ストレスの原因にもなり得るし、社会に適応できない場合もあるかもしれない。

 

しかし、ネガティブ思考には良い面もある。

 

例えば、ネガティブであるが故に、リスク対して事前に対処したり、悪徳商法に引っかからなかったり、計画性をもって物事を考えることができる可能性などは、ネガティブ思考の良い面と言えるのではないだろうか?

 

他方で、良い面ばかりがイメージされるポジティブ思考であっても弊害はある。

 

つまり、ポジティブ思考が必ずしも幸せに結びつくとは限らず、必要によっては考えを改めた方が良い場合もあるということになる。

 

例えば、将来を楽観視し過ぎて貯金もせず浪費し、刹那的な生活をするのもポジティブ思考の弊害と言える。

 

あるいは、栄養バランスを考えず刹那的な美味しさばかりを追い求めた食事をしたり、自堕落な生活をしていると、健康面での弊害が出てくるかもしれない。

 

私たちは、ポジティブな側面・ネガティブな側面を両方兼ね備えていますが、上記のようにポジティブ思考であってもネガティブ思考であっても、どちらかに偏り過ぎると弊害が出てくるということになる。

 

 

認知行動療法における適応認知と非適応認知

 

認知行動療法には『適応認知』と『非適応認知』という用語が存在する。

関連記事⇒『ブログ:適応認知と非適応認知

 

そして、「適応認知=ポジティブ思考」と思われがちだが、上記に示した通りポジティブ思考であっても人生における弊害となり得るため、必ずしもそうとは言い切れない側面を持っている。

 

適応認知とは「状況に適した歪みのない考え方」を指すため、
ポジティブ思考がその人の生活にとって非常に有利であれば適応認知に当てはまるのだが、
ポジティブ思考がその人の生活にとって不利(不摂生によって病気になる・借金まみれになるなど)に働くのであれば非適応認知に該当してしまう。

 

そして、認知行動療法は、ポジティブ思考であっても、ネガティブ思考であっても、それらが非適用認知であるならば、それらの思考を生み出している認知バイアスへ介入していくというスタンスをとっている。

 

 

究極的なネガティブ思考とポジティブ思考では、弊害が大きいのはどっち?

 

私たちは、ポジティブな側面・ネガティブな側面を両方兼ね備えているが、上記のようにポジティブ思考であってもネガティブ思考であっても、どちらかに偏り過ぎると弊害が出てくると前述した。

 

しかし、この偏りが両極端に振れた場合は、どちらが人生を過ごしやすいのだろうか?

 

そうなると、答えは疑う余地もなくポジティブ思考ということになる。

 

先ほど、ポジティブ思考であることの負の側面を記載したが、ポジティブ思考が極端に振り切れてしまうと、(理屈上は)以下のようになる。

 

・刹那的にお金を浪費して貧乏になる
⇒貧乏になったらなったで、自己破産・生活保護を受けながら、悲観せず貧乏なりに楽しいことを見つけられる

 

・暴飲暴食、自堕落な生活を続けて病気になる
⇒病気にはなってしまったが、自分を律してストレスを抱えて長生きするより、良い人生だ

 

※借金を踏み倒しまくって殺される直前には、どう思うのか分からないが、究極のポジティブであれば、その様な人生ですら肯定的に受け止めるのかもしれない(理論上は)。

 

 

一方で、ネガティブ思考が振り切れると、自殺してしまう・・・・・

 

自殺をしてしは元も子ない訳だが、ネガティブ思考が振り切れるとは、そういうことだと思われる・・・・・

 

究極のポジティブ思考は自業自得の破滅的な状況に陥ったとしても、それすら楽観的に考える人を指すのではないだろうか?

 

幸せの物差しがあくまでも「本人の主観」とするならば、そこまで突き抜けたポジティブ思考は幸せだと言えるだろう。

 

つまり極端な思考を持つのであればポジティブにこしたことはないという結論に至る。

 

 

余談

 

しかし、究極のポジティブ思考は理屈上な人であり、そんな突き抜けた人がいるのかは不明だ。

 

私の友人にかなり極端なポジティブ思考の持ち主がおり、その友人は底抜けに明るく、その思考が非常にうらやましく感じることがある。

 

しかし、その友人ですら上記のようなポジティブ思考であるが故の弊害に悩んでいる場面を見かけることがある。

 

この友人を含めた私の(非常に狭い)実体験からも、究極のポジティブ思考の持ち主はほとんど存在しないのではと考える。

 

従って、私達大多数はポジティブな側面・ネガティブな側面を両方兼ね備えていることを認識し、(十把一絡げに究極のポジティブ思考を目指そうなどとは考えず)バランスの良い思考を心がけることが重要となってくる。

 

そして、ネガティブすぎる人は、頑張ろとせず、今ある幸せを改めて確認することも大切かもしれない。

 

なぜなら、ネガティブな気持ちになると不幸な出来事しか見えなくなることがあるからだ。

 

しかし、悪いことばかりが起きているわけではない場合が多い。

 

良いことも起きているはずだ。

 

良いことを感じて感謝をすれば気持のバランスがとれると考え

 

まずは手元にある幸せに感謝してみることが出来ないか考えてみてほしい。

 

一方で、大きな不幸があった際は無理に幸せになろうとせず、悲しむことが大切だと言われている。

 

それが自然なプロセスであり、一時的にネガティブな感情を持つことは決して悪いことではない。

 

綺麗ごとかもしれませんが、そんな事を思いながら、今回のブログを終了する<m(__)m>