この記事では、様々存在する報酬のうち『社会的報酬』を解説していく。
社会的報酬とは
報酬(ご褒美)の種類は様々だ。
あなたが他者に何かをしてもらった場合、そのお礼として「金品」や「物品」を上げたとすれば、それは『報酬』と言えるだろう。
でもって、報酬の種類はザックリと以下の3つに分類される
- 生理的報酬
- 金銭的・物的報酬
- 社会的報酬
これら種類に関して詳しくは以下も参照
⇒『報酬には色んな種類があるって知ってた?種類別に解説するよ』
社会的報酬とは
前述したように報酬には幾つかの種類がある。
でもって社会的報酬は、他の報酬と比べると理解しにくい部分があるかもしれない。
そんな社会的報酬は以下の要素を含んだものが該当しやすい。
- 承認(他者に受け入れてもらうことが出来た)
- 評価(他者に評価してもらうことが出来た)
- 信用(他者に信用してもらうことが出来た)
- 信頼(他者から信頼を得ることが出来た)
- 尊敬(他者から尊敬を抱かれた)
上記要素は、似たり寄ったりなものが並んでいるため、違いを理解するというよりは、ザックリと「こういうのが社会的報酬になるんだな」程度に覚えておくと役に立つかもしれない。
社会的報酬の具体例
社会的報酬の具体例としては以下などが挙げられる。
- 自分の頑張りが認められる
- (金銭的メリットのない)資格取得・表彰状
- 他者より優れていると判断してもらえる
・・・・など。
いずれも、生理的報酬や金銭的・物理的報酬は存在しないにもかかわらず、人をやる気にさせる要素を含んでいる。
例えば、何らかのアクションを起こしたことによって(金品・物品はもらえなくとも)「○○さんって凄いね!」などと尊敬の眼差しを向けられると、それは「社会的報酬」として機能し、次の行動への原動力となり得るのはイメージしやすいのではないだろうか?
逆に、何らかのアクションを起こすことによって、(金品・物品がもらえず)他者から何の反応(承認・評価・信用・信頼・尊敬など)も得られなければ、起こしたアクションを再び起こしにくくなる。
ちなみに、もしあなたが相手に社会的報酬を受け取ってもらいたいと思うなら、『Youメッセージ』より『Iメッセージ』のほうが良いと言われている。
ちなみにYouメッセージ・Iメッセージは以下の通り。
「(あなたは)素晴らしいね」「(あなたは)頑張ったね」などといった表現の事。
主語がYou(あなた)であるメッセージなため、『Youメッセージ』と呼ばれる。
感情のこもらない、ある意味上から目線な言い方とされる。
「(私は)あなたなのすごさには毎回驚かされる」「(私は)あなたの作品に感動した」などといった表現の事。
主語がI(わたし)であるIメッセージなため『Iメッセージ』と呼ばれる
(Iメッセージの方がYouメッセージよりも)「あなたの価値を認めている」という気持ちが伝わり易く社会的報酬としての価値も高くなるとされている。
これを覚えておくと、(相手に伝える内容自体は同じにもかかわらず)クライアントのやる気の引き出し具合や、大切な相手との人間関係にも影響を及ぼす。
社会的報酬 VS 金銭的報酬 その①『イースタリンの逆説』
ビジネスの世界ではモチベーションを高める要素として、下記の3つが挙げられることが多い。
- 収入
- 地位(キャリアアップ)
- 周囲の賞賛や感謝
このうち、「周囲の賞賛や感謝」は社会的報酬に該当する。
※地位(キャリアアップ)はケースバイケース。役職につけば役職手当という金銭的報酬が手に入る可能性がある。一方で「単に名誉的な役職」も存在し、これは社会的報酬に該当する。
マズローの欲求階層で社会的報酬を考える
『報酬には色んな種類があるって知ってた』では3種類の報酬を、以下のようにマズローの欲求階層説に当てはめて解説した。
- 生理的報酬→「生理的欲求」
- 金銭的報酬→「安全の欲求」
- 社会的報酬→「所属と愛の欲求」と「(他者からの)承認欲求」
上記の考えからいうと、『社会的報酬』は『金銭的欲求』より上位な欲求に位置づけられる。
しかし一方で、先ほどの「ビジネスの世界ではモチベーションを高める3要素」は、必ずしもこの考え(社会的報酬が金銭的報酬より上位な欲求であるという考え)には当てはまらない。
普通に考えて、階層的には高次であるはずの社会的報酬(「所属と愛の欲求」+「(他者からの)承認欲求」)が金銭的報酬(安全の欲求)と比べて必ずしもモチベーションを高める要素になるとは限らず、金銭的報酬と同列、あるいは下回る可能性もある。
個人的には、他人に賞賛されることも心地よいが、それと同等か、それ以上にお金が欲しいと思うことは多々ある。
年収が一定以上になったら、マズローの欲求階層説が当てはまる
私たちは、ビジネスの世界において(社会的報酬も重要だが、それ以上に)金銭的報酬を欲する傾向にある。
なぜなら、以下などの不安が常にまとわりついているからだと思われる。
- 職場の将来性に対する不安
- 職業の将来性に対する不安
- 自分の将来性に対する不安
- 家族の将来性に対する不安
- 老後の不安
・・・・・・などなど。
つまり、マズローの欲求階層説における『(お金にまつわる)安全の欲求』が確実に担保されていない状況下においては、金銭的報酬を重要視するのは致し方かないことと言える。
ではビジネスの世界における『安全の欲求(金銭的報酬への渇望)』から解放されるボーダーラインはあるのだろうか?
これは、ぶっちゃけ個人によって大きく異なるので何とも言えない(浪費癖があるか、質素な生活で満足できるかでも違ってくるだろう。物価の高い地域or安い地域のどちらに住んでいるかにもよるだろう)。
ただ、幸福感という観点からは「(大よそ)年収750万円」がボーダーラインになるという説がある。
(年収には微妙に諸説あるが)「アメリカの経済学者であるリチャード・イースタリンが提唱した「イースタリンの逆説」という法則は有名である。
※彼の調査では年収7万5000ドルがボーダーラインになったとのこと。
貧しいときには年収が増えると幸福感が増す。
しかし、年収が一定レベルに達すると、それ以上収入が増えても幸福感は変わらない。
個人的に、年収750万円というのボーダーラインには異論がある。
日本とアメリカ、さらには日本国内の地域によっても物価も大きく異なるし、(前述したように)個人の「どれだけ収入があれば生きていけるか」といった価値観も異なる(結婚して子供がいるかなど、条件を挙げればキリが無い)。
で、「イースタリンの逆説」は間違いなく存在すると思うが、個人的には年収500~600万円(副業も合わせて)もあれば、あとは(金銭的報酬よりも)社会的報酬のほうが「自身が幸せかどうかに関わってくる」と感じる(あくまでも、個人的な諸々の条件に照らし合わせて考えた場合)。
皆さんの「イースターリンの逆説」における「金銭的報酬」と「社会的報酬」の重要度が逆転するボーダーダインはどの程度だろうか?
これは押さえておいたほうが良いと思う。
これを押さえおくということは「自分は一体いくらお金があれば満足なのか」を知っておくという事であり、これを知っておかないと「お金は1億でも10億でも沢山あるほど良いに決まっている」とお金だけを追い求めているにもかかわらず(既にイースタリンの逆説における自身のボーダーラインに達しており)、いつまでたっても幸せになれないということが起こり得る。
社会的報酬 VS 金銭的報酬 その②『独裁者ゲーム』
「他者の存在」が個人の利他的な行動に影響を与える現象は、社会心理学において古くから知られてきている。
例えば、あなたが遺産相続で1億円もらえる可能性があるとする。
ただし、父親の遺書には「今まで世話になった親友にも数千万円分けてあげて欲しい」とも書いてある。
そして、その遺書の内容は「父親の親友」も知っている。
あなたは「父親の親友」にもお金を分けるだろうか?
100%の正解はないが、あなたは「幾らかのお金」を分けてあげる可能性が高い。
合理的に考えれば、1億円という金銭的報酬全てを受けとっても良いにも関わらずである。
これは、金銭と相手(父親の親友)から受ける感情を天秤に掛けた時、金銭的報酬を最大にするよりも、「相手から受ける負の感情を和らげたい」「良く思われたい」という社会的報酬も得たいという気持ちが生じることが、その理由であるとされている。
この行動を立証する実験として「独裁者ゲーム」がある。
独裁者ゲーム
独裁者ゲームとは以下の通り。
参加者を「分配者」と「受け手」に分ける。
で、分配者は、与えられた元手を自分と受け手の間で好きなように分けることができる。
一方で、受け手は、その分配者の決定を拒否する権利が無い。
例えば、あなたが「分配者」になって10万円渡されたとする。
で、ゲームの主催者に「あなたが10万円全てを受け取っても良いし、目の前にる人に幾分かお金を譲ってあげても良い。分配するかどうか(分配するのであれば、どの程度の割合にするかも含めて)あなたが決めて構わない」と言われたとする。
合理的に考えれば、目の前にいる人は無視して、10万円全てを自分のモノにしたほうが得である(小学生でもわかるほど、当然のことだ)。
しかし実際は、分配者の金銭的利益を最大にする選択が可能にもかかわらず、(完全匿名でない場合は)それをする人はほとんどいないらしい。
※文献によりまちまちだが、平均して利益の20%ほどを受け手に分配するケースが多いとされる。
※日本人ではもう少し多くなり、40%程度になるという報告もある。
これは以下が要因だと言われている。
独裁者ゲームの興味深い点は、条件を以下に変更した点だ。
「分配者を完全匿名性にする」
つまり、受け手には「誰が分配してくれているのか」が分からない条件下で、金銭を分配するのだ。
すると結果は「分配者のほとんどは受け手に一銭も分け与えない」といったケースが多くなる。
これは、回りくどい表現をするならば以下の様になるかもしれない。
本名をさらすか、匿名にするか
ブログを開設する場合「本名をさらす方が良いか」「匿名なままの方が良いか」といった議論が起こる。
関連記事⇒『理学・作業療法士の学生もブログを始めよう!』
で、本名を晒した方が「記事の信頼性がグッと上がる」のでアクセスが集まりやすいなどと言われることもある。
一方で匿名性にした方が「言いたいことを、(どんな人でも)本音で言える」というメリットもある。
もちろん前述したように、本名をさらしていない以上、内容に関する信憑性・信頼性は下がってしまう。
あるいは「本名を晒す=言いたいことが言えない」と必ずしもなるわけでもない。
要はパーソナルの問題だ。
前述した独裁者ゲームを思い出してみて欲しい。
匿名かどうかで、相手に分配する金額が大きく変化している。
で、遠慮しがちな人ほど社会的報酬(相手への反応)を気にしてしまう。
※相手への反応を過剰に気にしながら記事を作ってしまう可能性があるという事。
そいう人は、匿名で記事を書いた方が本音な記事を作れるかもしれない。
逆に言うと(相手への反応という意味での)社会的報酬におびえない人であれば、匿名であろうが無かろうが関係ないかもしれない。
いずれにしても「自身の考えを整理、備忘録の要素が強いブログ」であり、「ブログを自身をブランディングや人脈づくりに活用する気はが一切ない」、「匿名であるというだけで(記事自体を評価せず)信用・信頼してもらえないレベルの人に観覧してもらおうなどと微塵も思っていない」人間が、わざわざ実名にするメリットが無いのだけは確かだ。
ん~、社会的報酬と強引に結び付けすぎたかな?関係ないか・・・
補足①:男性の方が妬みを感じやすい
男性の方が妬みを感じやすいと言われている。
その理由は以下の通り。
人間の脳には「報酬系」という回路があるのだが、ここが活動するとドーパミンが分泌され非常に強い快感を呼び起こされる。
でもって、報酬系には以下の様な種類がある。
- 生理的報酬:
食べ物を食べたり、セックスをした際の快感
- 金銭的報酬:
金銭をもらうことで得られる喜び
- 社会的報酬:
他人から褒められたり、良い評価を受けたりすること
関連記事⇒『報酬には色んな種類があるって知ってた?種類別に解説するよ』
で、例えば「仕事で認められる」「昇進する」などの喜びを感じるのは、単純に給料が上がるからではなく「社会的報酬」をもらえるからだと言われている。
この社会的報酬は人間にとって、様々な原動力である。
そして、競争に勝ちたい、頼られたい、誰かに認められたいといった「社会的報酬」を求める欲求は、男性の方が強いのだ。
男性が、女性から「すごい」とおだてられたり、「お願い」と頼られるとつい嬉しくなって頑張ってしまうのは、承認という「社会的報酬」が得られるからだ。
逆に、失職した場合、女性に比べて男性の方が、より落ち込みやすいと言える。
そのため、無用な努力だとわかっていても、社会に必要とされるため、頑張り続けてしまうことになる。
補足②:最後通牒ゲーム
独裁ゲームと同じくらい有名なゲームに「最後通牒ゲーム(さいごつうちょうげーむ)」があるので補足として紹介しておく。
このゲームを紹介する前に、皆に以下の問いに対する答えを想像してみてほしい。
「相手が不幸になりさえすれば、自分がどうなっても構わない」
例えば以前、「アイドルにネット(ブログの書き込みか何かか?)で無視をされたファンが、アイドルを刺殺した」というニュースが流れた気がする。
合理的に自分の事だけを考えれば「刑務所で一生を過ごす」より「他人に無視された悔しさに耐える」よりの方が、断然マシな気がする。
しかし人間は、時として合理的に考えることが出来なくなる。
そんな人間の心理をゲームにしたのが「最後通牒ゲーム」である。
最後通牒ゲームとは
最後通牒ゲームは、実は「独裁者ゲームの数あるバリエーションの中の一つ」である。
でもって、数あるバリエーションの中で一番有名なのが「最後通牒ゲーム」になる。
最後通牒ゲームの方法は以下の通り。
- 2人のプレイヤーは「分配者」と「受け手」のポジションを割り振られる(ここまでは普通の独裁者ゲームと同じ)。
- 分配者は30枚のチップを「自分」と「受け手」に自由に分配する(これも、普通の独裁者ゲームと同じ)
- 「受け手」は配分結果に満足しない場合、それを拒否できる(これが最後通牒ゲームの特徴!!)。拒否した場合「分配者」「受け手」とも受け取るチップの数は0枚となる。
自分の希望が通らないなら、いっそのこと他人も道連れに
最後通牒ゲームの特徴は『③』であり、これが独裁者ゲームと大きく違う点である。
・受け手に選択権がある点
・不当な配分をされた場合は、拒否権を行使してゲーム自体を無効に出来る点
復習になるが、独裁者ゲームには以下の特徴がある。
前述したとおり独裁者ゲームでは、「分配者」に全ての選択権があるとはいえ、(完全匿名性でなければ)「分配者」は多少の報酬を「受け手」にも渡すのが一般的である(社会的報酬も得たい、後ろめたいなどの要因から)。
これは最後通牒ゲームでも同様(受けては多少のチップはもらえる)なため、「受け手」は合理的に考えた場合、(自分が思い描いていた報酬より少かったとしても)我慢して受け取る方が良いに決まっている(拒否権を発動した場合、自分がもらえる報酬はゼロになるのだから)。
しかし実際は、報酬が少ない場合は拒否権を発動させる場合が多い。
当然、拒否権を発動すれば自身がもらえる報酬はゼロである。ただし、相手の報酬もゼロになる。
るまり、拒否権を発動する理由は、合理的な思考ではなく、以下のような感情が優先されていると言える。
相手が「破滅する」・「がっかりする」といったリアクションに比べれば、自分の報酬などどーでも良くなるという訳だ。
皆さんも「相手が幸せになるくらいなら、自分が罪に問われてでも道連れにしたい」という心理、少しは分かる場面があるだろうか?
どれくらいチップを渡せば、受け手は満足してくれるのか?
最後通牒ゲームでは「受け手」にも選択権がある。
では「受け手」は、どれだけのチップ(報酬)を渡されれば満足するのだろうか?
この点は文献によっても異なって一概に言えない。
ただ、「分配者」はビビッて(拒否権を発動されると自身の報酬も0になるので)4~5割のチップを「受け手」に分配するケースが多い。
まぁ、5割渡してしまえば(半分づつなので)「受け手」も満足する可能性は高いだろう。
この記事のテーマである「社会的報酬」から少し脱線ていると思われるかもしれないが、最後通牒ゲームにおける「分配者の行動」も金銭的報酬以外のものが影響しているのは明らかだ。
※つまり、相手が自分へ渡そうとしている『思いやり』という名の社会的報酬が少なすぎるという『感情』が影響しているという事(お金がどいうこうではなく、相手の思いやりの問題)。
人間は、合理的に行動できない人間である。
自分が得をするというだけでなく、「感情」や「相手との比較」など、色々と無駄な事を付け足して思考してしまうことがある。
※ただし、そのように合理的に行動できないのは良くも悪くも「人間らしさ」の象徴ともいえる。
※でもって、(究極的に自己中心的で、尚且つ)ロボットであるかのように合理的が行動が出来てしまう人間を『サイコパス』と呼ぶ。
サイコパスが最後通牒ゲームをした場合
サイコパスが最後通牒ゲームをした場合はどうなるのだろうか?
あなたに提案権があり、サイコパスが承認権・拒否権を有しているとする。
で、1万円の分配比率が「8:2(つまり、8千円と2千円)」になるよう、あなたがサイコパスに提案するとする。
通常であれば「そんな不公平な分配をするのは許せない」と拒否権を発動しても不思議ではない。
しかしサイコパスは合理的に「拒否権発動すると、自分は手にするお金がゼロ円になってしまう」という点だけを考えて、承諾する。
自分にとっての損得こそが重要であって、(自分と比べて)相手が得をするかは関係ない。
※もちろん、これは単純なルールなため従うが、もっと複雑だったり、現実世界で自身がお金を総取りできる環境下であれば、全力で目的を達成すべく冷徹な判断を下す点は誤解しないでほしい。
サイコパスに関しては、以下の記事で深堀解説しているので、サイコパスに興味がある方は参考にしてみてほしい。
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