この記事では、リハビリ(理学療法)を実施ておく上で整理しておきたい『急性痛』と『慢性痛』の基本的な知識を、違いも含めて記載していく。
痛みとは?
そもそも痛みとは何だろう?
国際疼痛学会は、痛みの定義を以下の様に記載している。
『実質的または潜在的な組織損傷に結びつく、 あるいはこのような損傷を表わす言葉を使って述べられる不快な感覚・情動体験である。』
An unpleasant sensory and emotional experience associated with actual or potential tissue damage, or described in terms of such damage
この定義での重要なポイントは「痛みは不快な感覚・情動体験である」という点だとされている。
私たちは痛みを「感覚的な側面」のみで捉えてしまいがちだが、「情動体験でもある」という点も忘れてはならない。
つまりは、「痛みの原因は身体的問題だけでなく、 心理社会的因子による多面的な問題が存在する」という点を理解する必要があると言える。
急性痛と慢性痛の違いを整理
痛みには様々な分類法があり、その中で『急性痛』と『慢性痛』という分類方法がある。
それぞれの大まかな違いを以下にまとめる。
急性痛のポイント
- 組織の損傷によって起こる
- 痛みの原因が明確
- 生体に生じた危険を警告信号として伝え、 危険からの逃避や損傷組織の修復など 生体防御反応を賦活 生体にとって重要な役割
- 正常(生理的)な痛み
- 病状の安定、組織損傷の治癒に伴い緩解する
この際に、間違った判断の下で『過用』してしまうと、慢性痛に移行してしまう可能性があるので注意が必要である。
そして、以下の様な特徴を有している人には、痛みに対する正しい知識を提供してあげる必要がある。
- 急性痛(炎症期)では適度な安静が必要という知識が欠落している
- 痛みを有しているが、活動を制限することができない(農業、家事など)
- 痛みを我慢して動かすことが改善に繋がると信じて疑わない
これらの人は『セルフエフィカシー(自己効力感)が高すぎる人達』であり、正しい知識を身につけて「セルフエフィカシーの適正化」が大切となる。
関連記事⇒『セルフエフィカシー(自己効力感)とは?』
※注意点として、必要以上に安静にすることを推奨しているわけではないので誤解なきよう。
例えば、急性腰痛に対して過度な安静を続けることは推奨されていない。
関連記事⇒『急性腰痛(ぎっくり腰)の合併症と遅延化のリスク』
慢性痛のポイント
「一定期間以上、持続して生じている痛み」を慢性痛と表現する。
一方で、「一定期間」がどの程度の期間を指すかは一致していない。
そんな慢性痛の定義に関しての一つが以下となる。
急性疾患の通常の経過あるいは創傷の治癒に要する妥当な時間を超えて持続する痛み
急性痛に対する情報提供が「過用の弊害」であったのに対して、慢性痛に対する情報提供は「不活動(disuse)の弊害」となる。
この「不活動によって起こる様々な弊害(症状)」は『disuse syndrome』と呼ばれ、『不活動症候群』『生活不活発病』『廃用症候群』などといった名称に訳されている。
関連記事⇒『廃用症候群から生活不活発病へ』
慢性痛を有した人の中には、「ジッとしていても痛いから動かない」「動いたら痛くなるかもしれないから動かない」といった様に、「セルフエフィカシーが低くなっている人」が存在する。
そして、それらの人の中には「適度な」運動(あるいは理学療法)を実施すると、むしろ楽になる人達も多い。
もちろん、動かすほどに痛みが悪化するような慢性痛も存在し、それらの痛みに対しては「ワインドアップ」や「長期増強」を起こさないためにも運動が非適用となるケースも存在するので誤解なきよう。
関連記事⇒『中枢感作とは?脊髄後角で起こること!』
あるいは一括りに「慢性疼痛」と表現されるものの中には、徒手療法を複合したリハビリ(理学療法)によって「動くと悪化する慢性痛」を「運動が可能な状態」に改善できるものも含まれている。
そして、それらに適切な介入をすることでポジティブ体験(痛みが改善されるという体験・運動が可能となったという体験)を増やしセルフエフィカシーを高めていくことは痛みの悪循環から脱却するうえで非常に重要となってくる。
関連記事⇒『侵害受容性疼痛に関して』
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一般論に終始した素っ気ない記事となったが、少しは用語の整理をしていただけただろうか?
「急性痛と慢性痛」以外にも痛みの分類方法は存在し、例えば「侵害受容性疼痛」「神経因性疼痛」「心因性疼痛」といった分類に関しては以下で解説している。
神経障害性疼痛が丸わかりな動画を紹介します
どの分類も、切り口が異なるだけで、結局は同じようなことを表現している。
逆に言えば、様々な切り口から痛みを捉えなおすと、痛みに対する理解も深まりやすいのではないだろうか?