仕事による疲労に加えて理学療法に対するモチベーションが、ここにきてガクンと下がっています・・。
理学療法における、自分ができることに対する、「限界」を感じてしまうのです。
友人に聞いてみたり、理学療法の掲示板をのぞいてみると、この「限界」「壁」「スランプ」などというキーワードに1度はぶち当たってしまったという人は多いようです(特に新人を少し過ぎたころ)。
今まではそういう話を聞いても、「そんなものかなぁ~」「それは勉強不足では?」「他の視点で考えたらなんとか解決できるのでは?」などと他人事のように思ってきましたが・・・
私はこの限界をデイケアでも、訪問リハビリでも、整形外来でも感じてしまってます。
整形オペ後(THAなど)に関しては、PTの役割としては「2次的障害の予防」となり、後は自然治癒の状態に合わせて患者の活動性を増やしていけば良いというシンプルな考えで良いと思っているので(表現は不適切かもしれませんが一辺倒なリハビリをしても良くなっていく印象を経験上受けるため)、「限界」は今のところ感じません。
しかし、肝心のDrのレベルの違い(経験が浅く今まで感じたことはありませんが、先輩によると以前勤めた病院に比べ術式などなど全く同じなのに、うちの病院の○○先生のオペ後の患者は痛みの訴えが少ないからリハビリが楽などといったことがあるそうです)によって起こる後遺症や退院の遅れをPTの力でどれだけ覆せるかと考えてしまうと自ずと「限界」を感じてしまいますが。
話を戻して、最近「限界」を感じて仕方ないのはやはり慢性疾患に対してです。もともと慢性疼痛の改善に興味をもって勉強を色々してきたのですがそれも含めて「限界」を感じてしまいます。
例えばデイケアで利用者さんを受け持たせてもらうと、今まで難渋していた疼痛が改善されたりもします。しかし、高齢者が長年抱えてきた慢性的な疼痛が「消失」することはなかなかありません(まあ慢性痛は原因が複雑化してしまうので消失させるというのは驕りな気もしますが・・)。
今まで諦めかけた痛みを100としてそれが50に改善されたとしたら、利用者さんは「以前に比べて痛みが軽くなって良かった」ではなく「このままリハビリを続けたら痛みが0になるかもしれない」と思ってしまうことが経験上多いです。そして、中途半端に期待させてしまって、その期待にこたえられず、プレッシャーに潰されそうなことがたまにあります。
無理だと思ったら、それに抗わずにいたほうが、楽に仕事ができるのではないか?
はたして、頑張っていれば、結果は必ずついてくるのか?
このまま勉強をし続けたら、痛みを0にできるのか?(本人にもそれなりに協力してもらったと仮定して)
などなど最近考えていると、スーッとモチベーションが下がってきました。この気持は一過性のものなのでしょうか?だと良いのですが・・・
ただ、ここまでダラダラと書いておいて今さらですが、結局は未熟者のボヤキということです。経験年数3年にも満たないヒヨッコが「こんなに頑張ってるのに自分の思い通りに物事が運ばない。自分は限界だ・・・」なんて、他の方々から見れば理学療法をナメているとしか思えないでしょう・・・
落ち込みがちですが、重要なのは「限界」を感じてからだと思うようにしています。先日、テレビで押切もえさんが以前頸椎を骨折してしまってどん底にいた際、下記の名言を糧に頑張ったそうです。
○『君が転んだことには興味が無い。君がそこから立ち上がることに興味があるのだ。』
byエイブラハム・リンカーン
○『行く価値のある場所の近道は無い。』
byヘレン・ケラー
テレビではポジティブで挫折もしてなさそうな印象(勝手に印象付けてすみません)だったので、涙目で当時のことを語っていた押切さんの印象がガラリと変わりました。
そして、その名言に私は「おお!」と思わず叫んでしまい、自分の中のモヤモヤがスーッと引いていくのを感じました(なんて単純なんでしょう・・)。
これまではがむしゃらに突っ走って来ましたがそれは新人PTなら皆がすることです。
新人のうちから漫然と仕事だけこなしているPTはあまり見かけません。
しかし、この「限界」にぶつかってから起こす行動は人それぞれだと思います。
ここから何かしらPTとして建設的な悟りを開けるかどうかは非常に重要だと思います。