この記事では、リハビリ(理学療法・作業療法)・看護・介護の従事者が知っておくべき『障害受容(の5段階)』について記載していく。
目次
障害受容(acceptance of disability)とは
ここでは、アメリカにおける『障害受容』の起こりと、今日の日本における『障害受容』について記載していく。
アメリカにおける障害受容の起こり
1960年代にアメリカでは、身体的障害を負った障害者にみられる共通の心理的反応として、「悲嘆(あるいは悲哀)」という考え方が導入された。
また同時に、「障害に適応していくためにはある一定の段階を踏む必要がある」という、今日における『ステージ理論』と呼ばれる主張が提唱された。
悲哀の考え方は、元々は精神分析学者であるFreud Sが「愛する人との死別に際してみられる心理的反応として唱えた理論」で、愛する人の死を受け入れる過程では、頭だけでその事実を理解するだけではなく、体験として『十分に嘆き悲しむこと』が、その人との絆を断ち切るために必要不可欠であり、目的にかなった重要な適応過程であるとした考え方である。
この考え方は、後に対象が「愛する人」だけではなく、すべての「愛するもの」に拡大され、強く愛する対象を失う「対象喪失」からの復活に必要な心理過程とされた。
障害発生前の身体状態は、自分にとって最も大切な愛すべきものであり、それが障害により失われた状況はまさに「愛するものの喪失」に相当すると考えられたため、障害を負った後の心理的反応として、この悲哀の考え方が取り入れられたものと思われる。
障害受容の考えは、アメリカから日本へ
日本における障害受容の概念は、心理学者の高瀬によって1950年にアメリカから導入され、以下の様に定義された。
その後1980年代に入り、上田によりリハビリの問題解決のカギとなる概念として以下の様に定義され、紹介された。
障害を受容するということは、単に障害の回復をあきらめ、障害を持ったままで生きていくという訳ではない。
人は通常、相対的価値観で自分の価値を決めている。
すなわち「他人よりどれだけ自分が優れているか」で自分の価値を決めているのである。
- 例えば、「足が不自由で走れない人」は「周囲の人たちが走れている」という点と比較して価値を決めることがあるかもしれない。
- 一方で、「足が不自由で走れないが、歩くことは出来る人」は「周囲の人たちが歩くことすらできない」のであれば、周囲と比較することで先ほどとは異なった価値を自身に見出すかもしれない。
相対的価値観で障害を持った自分について判断すると、自分は障害を持ったことで他人より価値観がなくなったと考え自分に対して自信がなくなってしまう。
しかし、他人との競争ではなく、自分自身は自分しか存在せず、この自分自身に価値があるのだという絶対的価値観を持ち、実現可能な将来の目標に向かってこれからの人生を歩んでいこうと決意することができたならば、それは『障害受容ができた』と言いなおすことが出来るのかもしれない。。。
ステージ理論:障害受容の5段階
「人が障害を受容するためにはいくつかのステップが存在する」という考えを『ステージ理論』と呼び、代表的なステージ理論としては以下がある。
- リハセンターで治療中の整形外科患者のインタビューを基に提唱された『Cohn Nによる5段階理論』
- 外傷性脊髄損傷患者の臨床研究から導き出された『Fink SLによる4段階理論』
これら以外にもいくつかのステージ理論が提唱されているが、それらに共通している心理状態の変化について上田は、以下の5段階に整理した。
- 第一段階:ショック期
- 第二段階:否認期
- 第三段階:混乱期(怒り・恨みと悲嘆・抑うつ)
- 第四段階:解決への努力期
- 第五段階:障害の受容期
この『障害受容の5段階』は介護・看護・リハビリの知識として必ず習うので、医療・介護従事者であれば知らない人はいないのではないだろうか?
ショック期
受傷や発病直後はショックで自分に起きたことが現実の事とは考えられず、この時期を『ショック期』と呼ぶ。
障害発生直後で集中治療が行われている時期に多く、肉体的な苦痛を伴っているものの、心理的な不安はそれほどなく、平穏で感情が鈍麻した無関心状態であることが多い。
つまり、健康なときと同じ身体像をもっていることが多い。
重複するが、この段階では障害者という自覚は無い場合も多い(いずれは、全て元通りに回復すると思っている場合も多い)。
否認期
『否認期』は「自分にこの様なことが起きるはずはなく、有り得ないことだ」と考える時期を指す。
自分の障害を自覚するが受け入れられない時期である。
健常者に対して嫉妬や羨望を感じたり、介誰者に対してはわがままになり、あたりちらしたりすることすらあるとされている。
また、逆に障害者と自分を同一視することができず、交流を求められても応じようとせず、かえって差別的な言動をとったりすることもあるとされる。
否認には顕在性のものより潜在性のものが多く、注意を要する潜在性の例としては以下などが挙げられる。
- 障害部位の機能回復訓練には熱心であっても、残存機能開発のための訓練(車椅子訓練、利き手交換訓練など)には拒否的
- 迷信にすがる
- (前述したように)同じ障害をもつ人との交流を避けたりする行動がみられる
※人間関係では、自分が障害者と同一視されることに強い反発をもち、交流しないケースも多いという(特に若い方に多い印象)。
これらは「弱い自我が圧倒的な現実を前に自己防衛するための反応」なため、自我がある程度強くなるまで必要な反応と言える。
従って、患者を無理やり現実と対決させることは無益であり、逆に患者を破局へと追い込むこともある。
なのでリハビリ時の配慮としては、むしろ支持的・保護的に接しながら、少しずつでも機能訓練を続け、患者の自立能力を高める方向に導くのが良いとされる。
混乱期
『混乱期』では圧倒的な現実にどう対処したらよいかわからなくなったときに認められ、その反応は大きく内向的に表れる場合と外向的に表れる場合に分かれるという。
つまり、自分自身に対して、あるいは(他者などの)自分以外に対して攻撃的であるのもこの時期である。
内的的に現れた場合は、無気力になり、希望を失うことも多い。
したがって、自殺が最も多いのはこの時期である。
外向的に表れる反応思考としては、「自分がこうなったのは○○のせいだ」「まだ治らないのは○○のせいだ」などと考え、他人や事象に責任を押し付けるなどが考えられる。
※いずれにしても、自分の今後の人生についてはまだ考えられない。
自分の障害に関しては受け入れるが、現実的な対応ができず、悲しい気持ちになる(うつ的になる)。
自分の人間としての価値が失われたと感じやすく、実際の身体的・社会的制約に比べて、はるかに大きな制約があるように感じてしまう。
解決への努力期
徐々に自分の今後の人生について現実的に考えだし、解決への努力期に入る。
「もしこの条件が満たされるのなら、もう一度前向きに自分の人生を歩んでいこう」などとと考えるようになる。
自分に障害があることを受け入れ現実的な対応をし始めるが、そういった対応に対して自信がなく、感情が揺れ動いている時期。
健常者に対しては劣等感をもつが、障害者に対しては親近感をもつようになるという。
この状態にある患者には周囲からの働きかけが特に重要で、患者そのもののもつ本当の価値を、医療スタッフおよび家族が心から認め、それを本人に伝えて確認させていくことが必要である。
※後述するが、全ての人が必ずしも「ショック期」からステージを進んでいくのではなく、最初から「解決への努力期」に近い人も散見される。
※この辺りは、理屈と実際は異なるということになる。
障害の受容期
患者は障害を自分の一部として受け入れ、障害が自己の個性(たとえば、背が高いとか低いとか、太っているとかやせているとか)の1つであり、それがあるからといって自分の人間的な価値は変わらないと考え始める時期。
その状態で生きていく方法と自信について自分なりの答えを見つけ出した状態であり、人間関係においても、健常者と障害者の区別なく対等に交流することができるようになる。
・・・・・・・・・・・という事らしいが、ここまでカッチリと障害受容がなされている人を、私はあまり見たことがない。。。
テージ理論の問題点
ステージ理論では、「障害受容が、ある決まった段階を一律に経て成されると表現されている点」や、「各段階の始まりと終わりがあたかも区別可能なものとして表現されている点」など、理屈としては分かり易い。
しかし一方で、実際の臨床に当てはまらないケースも多く存在するため、ステージ理論を批判する人も多い。
ただし、私たち医療・介護に従事する(あるいは、志している)人達が、障害者の心理状態を理解するときに、「今どのような心理状態にあるのか」などと参考にする分には、十分利用価値のあるものと考える。
※障害を持っている人の辛さは、決して持っていない人に分かるものではない。
※なので、その人達に寄り添うためには想像するしかないのだが、想像力を働かせるための材料の一つになることは間違いないだろう。
重複するが、必ずしもステージ理論のステップを踏むとは限らないが、その心の動きを理解しておくことは大切になる。
特に混乱期での対応には注意が必要
実際の障害者の心理状態としては、ステージ理論の様に「次々と、ステージを順当に進んでいく」というよりは、以下なども散見される。
・ステージを行きつ戻りつしながら、少しずつ進んでいく
・あるステージで停滞してしまう
※この点は、以前に学会で貴重な講演を聴き、記事にもしているので是非合わせて観覧してみてほしい。
いずれにしても、障害受容までの過程は人によって千差万別であることが分かる。
従って、リハビリ介入に際しては、その都度患者の心理状態を判断したうえで、その心理状態に応じた対応が求められる。
そんな千差万別な心理状態の中で、『混乱期』には注意が必要で、このときに各種の介入を試みても抵抗されることも多く、介入は慎重に行う必要がある。
例えば、この時期に内向的な反応を示す場合は、すべて自分が悪いのだと自分を責め、抑うつ的になり、ときに自殺企図を起こすこともあると前述した。
従って、ひたすら患者を受け入れながら(批判するのはよくないが同調しすぎるのも良くないという非常に難しいかじ取りを迫られるが)、患者のためになる行動を常に一緒に考えているという立場を示しながら、訓練の継続を促す。
関連記事⇒『ニーズ・デマンド(+違い)を徹底解説』
一方で、自らの障害を認識し、さらにその状態に前向きに対処しようとする心の動きがみられるときに(解決への努力期以降)介入することが、リハビリの効果を高めるために必要となる。
※まぁ、ステージ理論のように人間の心理は単純ではないからこそ難しいのだが・・・
障害受容とリハビリテーション
障害を受容するという事は非常に困難を伴う。
体が不自由になれば、当初は落胆し、自分の価値が下がったと感じるのが当然である。
従って、『障害を受容出来た人』を尊敬することはあっても、
『障害を受容できないでいる人』を「あの人は、自身の障害をまだ受容することが出来ていない」と卑下する態度は慎むべきである。
リハビリテーションにおける障害の受容に向けた対応としては、以下などが挙げられる。
・現実的で魅力的な目標を提示すること
・対象者が障害の需要のどの時期にいるかを考慮した共感的な態度
また、医療・介護従事者だけではなく家族や友人、職場の同僚の理解も重要である。
心と体は繋がっているよ
リハビリの目的は患者を人間として最終的に自立させることにある。
関連記事⇒『リハビリテーションとは』
その目的のためには、身体的な機能障害や活動制限、そして社会制約の改善のみならず、障害者自身の心理的な問題解決が必要になる。
本人の心理状態が落ち着いていれば、身体的なリハビリは順調に進む可能性が高くなる。また、残存機能を最大限に発揮することも可能となる。
しかし一方で、自らが置かれた障害への適応が不十分で不安や悩みなどを抱えた心理状態であれば、リハビリの進行が阻害されるのはもちろんのこと、目的とする自立には至らない。
自立とは自らの足で立つことであり、そのために必要な土台の中心には、患者自身の精神心理がおかれていることを忘れてはならない。
多くの人にとって障害は、その人が初めて経験する重大な危険状態であり、心理状態に影響を及ぼす一大事件であるが、その心理状態を第3者がうかがい知ることは、たとえ家族であろうとも難しい。
しかし、心理状態が身体的機能改善に影響を及ぼすことは明らかである。
したがって、障害者の心理状態の把握と対応はリハビリに関わる全ての医療・介護従事者にとって、必須の知識と技術と考えられる。
障害受容における価値観の転換理論
障害受容に至ったと思われる人々の観察から、アメリカでは以下の様な『障害受容における価値観の転換理論』が発表された。
「障害受容のおける価値観の変換」には以下の4項目があり、障害受容に向けた価値転換を示唆するものとして有用である。
①価値観の視野範囲の拡大:
失った価値の他にも異なったいくつもの価値が残っており、それは以前と変わらず持っているという認識を新たにする。
②比較価値観からそのものの価値観への変換:
他者あるいは以前の自分と比較して今の自分の価値を見るのではなく、今持っている性質、能力などに内在する自分そのものの価値を再発見する。
③障害の与える影響の制限:
障害を固執する自分がいることは直視するものの、それが自己の存在全般の劣等生まで拡大しないよう封じ込める
④失った身体的機能の価値を従属的異なものにする:
外面的な身体的機能より、人格や性格、知恵、協調性など内面的な価値が人間としてより重要であると認識し、失った身体的機能の価値を低くする。
日本では、障害受容における「社会的要因群」への馴染みが無い
「障害受容」の概念は1950年前後から米国で用いられ始めたと前述した。
でもって、後に精神科医のGrayson Mによって整理・理論付けがなされた。
Grayson Mによれば、障害の受容の段階には大きく分けて以下の2つの段階(要因群)に分けられるとしている。
第1段階:個人的な要因群:
個々の身体的な障害や性格などパーソナリティー構造に由来するもの
②第2段階:社会的な要因群
障害にある個人に対して、社会の側から個人に課せられる要因に由来するもの。
※第1段階の受容が『自己受容』とも呼ばれるのに対して、第2段階は「社会が障害者に対して変化すべきもの」として『社会受容』と呼ばれることがある。
※でもって、『自己受容』と『社会受容』がなされることで始めて『障害受容』が完成すると考えた。
日本では『社会受容(社会的な要因群)』への馴染みが少ない
日本で使われてきた障害受容の概念は、アメリカとは以下の点で異なる。
- 最終的には個人の努力により達成するものという意味合いが強い。
- 従って、達成できなければ個人の責任に帰する
つまり日本では、前述したアメリカにおける『自己受容』のみが強調され、『社会受容』の部分が希薄であると主張する人もいる。
『障害受容』から『障害適応』へ
近年、英語圏では『障害受容』という概念の使い方に慎重であると言われている。
それは、障害者に重要なことが、単にその状況を受け入れること(障害受容)ではなく、状況に合わせて自身の生活や考え方を変えていくことであると広く認識されるようになったためだと言われている。
でもって、『障害受容』という用語の代わりに『障害適応(adaptation of disability)』という概念を用いることが多くなっているという。
『障害受容』という用語が、本人の主観という他者からは評価しにくい側面をはらんでいるのに対して、
『障害適応』という用語は、より行動面のニュアンスを含んでいるため、他者からもある程度評価できるといったメリットも指摘されている。
『ステージ理論:障害受容の5段階』の項目でも述べたように、実際に全てのステージを進んで第5段階(障害受容)に達する人というのは、非常に稀だと思う。
そんな意味でも(本来の意味での障害の受容にまで達せられる障害者は少なく)、むしろ多少の不満はもちながらも自分の障害に適応してうまく対処することができる(障害受容ではなく障害適応)ようになることが、すべての障害者が目指す最初のリハの目標に近い。
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この記事にリンクしておいた記事を再度ここで紹介しておく。
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この記事はICFシリーズの一環として作成している。
そんなICFシリーズのまとめ記事は以下になるので合わせて観覧してみてほしい。
理学療法士・作業療法士が知っておくべきICFまとめ
心と体は繋がっているという意味では「笑顔のメリット」「セルフエフィカシー」や「プラシーボ効果」という用語も関連記事として面白いと思う。(ただし、プラシーボ効果についてはリハビリ職種である理学療法士・作業療法士向けな内容なので、少し内容が難しいかもしれない点に注意してほしい)。
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