政府は2015年7月17日、2020年の東京五輪・パラリンピック主会場となる新国立競技場の建設計画をゼロベースで見直すことをようやく発表した。

 

国立競技場の問題は、関係者たちが責任のなすりあいを行ったり、総工費が2520億円という当初の見積もりとは全く異なる費用にまで膨れ上がっていたことが話題になっていた。

 

この点に関しては国民の多くが非難しており、与党議員の中からまで反対論が噴出していたにもかかわらず、ここまで見直しに時間がかかってしまった理由はなんだったのだろうか?

 

国際公約に掲げたから撤回できないというプライド、白紙に戻してしまったらオリンピックまでに納期が間に合わない、などなど言われていた。

 

そんな中で、私は数日前の報道ステーションでの「今までの時間やお金を無駄な埋没コストと考えたくはなかったからだろう」というコメンテーターの言葉が印象に残った。

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目次

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サンクコストとは

 

埋没コストとは、経済学の用語で「もう回収出来ないコスト」のことを指し、サンクコストとも呼ばれる。

 

そして、一般企業においては、多額の投資をしてきたにもかかわらず採算が合わないと思った際は、それまでに要した費用はサンクコストと考え、潔く撤退することも重要になる。

 

私たちの日常においては、パチンコで多額の費用をつぎ込んでしまっているから「ここで引いてしまっては今までの投資が無になってしまう」と思わず、サンクコストと考え終了すべきといった例が分かりやすいのではないだろうか?

 

しかし、上記のように考えられずにズルズルと失敗を拡大させてしまうケースも多々あり、それは『サンクコストの呪縛に陥っている』と表現する。

 

※今回の白紙撤回発表が遅れた理由の一つもこれかもしれない。。。。。

 

サンクスコスト(これだけ投資してきたのだからという思い)は忘れるべきであり、それを無理に回収しようとしてさらなる多額のお金をつぎ込むよりも、別の建設的な内容への投資へ切り替えるべきでだという教訓になる。

 

 

サンクコストの応用例

 

ここでは、サンクコストに関して応用的な例も挙げてみる。

 

例;

食べ放題で2000円払った後に、「元をとるために気分が悪くなってでもたくさん食べる」という考えは誤りである。

 

それでお腹を壊してしまっては元も子もない。

 

2000円払った時点で、それはサンクスコストと考えて忘れてしまい、その後は純粋に食事を楽しむべきである。

 

※ただし、食べ放題の店に入る前に、本当に2000円分の元が取れるかどうかを考えることは大切である。つまり、投じるかどうかをこれから決めるコストに注目し、すでに投じて回収出来なくなったコストは忘れろということである。

 

 

サンクコストは時間・努力も含まれる

 

また、サンクコストには、『お金』だけでなく、『時間』や『努力』も含まれることは重要なポイントだ。

 

※今回の国立競技場に関して、今まで割いてきた役人たちの『時間』もサンクコストと言える。

 

時間は消費を楽しむにも必要で、自分の能力を高める投資を行う際にも必要となる。

 

そして時間は、一度投じてしまうと絶対に回収出来ない。

 

つまり、個人が何かに時間を投資してしまうと必ずサンクコストになるということだ(失敗したとしても成功したとしても)。

 

だからこそ、サンクコストとなった過去の時間について冷静な評価が出来るかどうかは私たちの人生を大きく左右すると言える。

 

そして、貴重な時間が無駄になったことを認めるのは辛いことだが、すでに無駄になったサンクコストにとらわれて、将来の時間まで無駄にしないよう気をつける必要がある。

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理学療法の研修におけるサンクコストの例

 

最後に、理学療法関連でも思いつく例を挙げて終わりにする

 

サンクコストの例①

 

年会費や研修費など、継続した自己研鑽に費用が多く必要なコース系の講習を受けていた。

 

無事にコースが修了し、高額な費用で、その団体が主催する認定テストを受け、無事に合格した。

 

認定料との名目で高額な料金を払って、無事に認定を取得した。

 

認定の継続には毎年高額な費用が必要であるが、もし更新費を支払わなければ認定は剥奪されるので支払い続けている。

 

万が一、認定の更新をせずに剥奪された後、再度認定を取得したければ、コースを再受講しなければならない。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・もし仮にこの様な状況に陥っていたのであれば、「今まで時間もお金も努力も費やしてやっと認定を取得した。しかも、更新のため何年も費用を払っている。今になって更新をやめたら、それらのコストはなんだったのだということになる」などの思いに駆られるかもしれない。

 

しかし、もしも上記以外に認定に対する思いが無いのだとすれば、『お金』に関してはサンクコストとして考えて、次の自己研鑽なりプライベートなりの充実に使用したほうが、より有意義となる(宣伝効果で使用でき仕事につながるなどメリットを感じるなら話は別だが)。

 

※ちなみに今まで費やした『努力』や『時間』に関しては、認定を取得するまでの経緯で十分な臨床能力が身に付いたとするならば『良いサンクコストであった』ととらえることが出来る。

 

 

サンクコストの例②

 

ある団体で、高額な費用を払って研修を受けている。

 

なかなか指導者の様には上達しないが、「最初は皆そんなもの。努力していれば上達する」を言われて、研修を受け続けている。

 

今まで合計すると莫大な受講料になっているが、最近は費用に見合うだけの上達はこれからも見込めないのではとも思い始めている。

 

更には、この団体が主張している内容にすら疑問を抱くようになってきた。

 

しかし、今まで投資した金額が膨大過ぎるので、一定の結果が出せるようになるまでは後戻りするわけにはいかない。

 

・・・・・・・・・・誇張させるため、やや蛇足の多いと内容になってしまったが。。。

 

「サンクコストの例①」は辞めても『努力』や『時間』は有意義なものであるのに対して、このケースでは辞めてしまうと全てが無駄なものになる可能性もある。。

 

しかし、サンクコストととらえて過去には執着せず、いかに限られた資源を未来に向かって建設的に使用していくかが重要となる。

 

そして、サンクコストと考えることで途中でスッパリと辞めてしまうのも大切だが、その様な事態に陥らないために、しっかりと吟味したうえで資源を投入する能力も同時に養う必要があるのかもしれない。