この記事では『機会費用』『機会損失』という用語について記載していく。
機会費用とは
機会費用とは以下を指す。
ある行動を選択することで失われる、他の選択肢を選んでいたら得られたであろう利益のこと。
~マネー用語辞典より~
例えば日常生活における休日の過ごし方としては、以下の選択肢がある
- 映画に行く
- 近所を散歩する
- 家で読書をする
・・・・・などなど。
でもって、もし私が「映画に行く」を選ぶとすると、以下が機会費用に該当する。
ただ、「散歩」や「読書」を経済的な価値に置き換えるのは、少し難しいかもしれない。
そういうときは、別の例として「映画に行く」と「ブログ記事を書く」を対比すると多少分かり易いかもしれない。
その2時間で作成できたはずのブログ記事(後に収益になりえるもの)が、映画による利益とどれだけ差があるかといことを考えてみよう。
当然正解は無いので意見が分かれるところだが、人によっては「ブログ記事を作製していたほうが自身の利益になった」と考える人もいるだろう。
もちろん、映画が悪いといっている訳ではない。
「散歩」「読書」「ブログ作成」という幾つもの選択肢がある中で、自身が「映画」を選んだとするならば、そこには何らかの理由があるはずだ(ストレス解消も立派な「利益」に該当する)
人がとった行動が、正解か不正解かは未来になってみなければ分からない(あるいは、一生分からないことだってあったりする)。
人は何かの行動を選ぶとき、意図しているかしていないかにかかわらず、機会費用の問題に直面しているといえる。
理学療法士あるある。自己研鑽を例にしてみる。
例えば、「自己研鑽として、毎月遠方まで研修会に参加し、年間50万円くらいは投資するぞ」と意気込んで、実行したとする。
この際の機会費用とは、上記の自己研鑽(毎月時間と高額のお金を消費しての自己研鑽)をすることで失われる、他の選択肢を選んでいたら得られたであろう利益のことを指す。
例えば、この自己研鑽を選択せずに、(その時間やお金を)アルバイト・リハビリの講師・ブログの構築による副収入・株式投資などによる資産形成など別の選択をした際に得られたであろう利益は『機会費用』に該当する。
人生は選択の連続である。
何らかの選択をした場合、他の選択をした際の利益(機会費用)は得ることが出来ない。
今度は、「大学へ行くことの機会費用」について考えてみる。
もし仮に大学へ行かずに働くとすれば、同じ4年間でいったいどれくらいの収入を得られるのか、それが「大学へ行くことの機会費用」の一例である。
大学へ行くことのコストは授業料や教材費などだが、これに加えて機会費用、つまり大学へ行ったことによって、捨ててしまう利益にも着目する必要がある。
極論として、大学に行って4年間ダラダラと過ごすよりも、東大を中退したホリエモンの様に、起業しオンザエッジという会社を起業し金儲けけするという選択肢もあるわけだ(まぁ、粉飾決済で逮捕と言うのが最終的なオチなのだが)。
昔、当院の事務長に「研修会の費用を負担してほしい」とお願いした際に、以下の様に返されたことがある。
病院にとって機会費用を考えた場合、私にお金と時間をかけて研修に行かせるべきか、別の選択肢(普通に働かせるなど)にすべきか、病院は天秤にかけて考えているという訳だ。
機会費用は短期的視点でのみ語られるものではない
前述した事務長の問いに対する続きになる。
一般的に、何らかの研修に個人が参加した直後に、リハ科の収益が急速に伸びるといった事は有り得ない。
※実際に、私が依頼した研修会も、即座に、尚且つダイレクトに病院の収益へ貢献できる類のものではなかった。
しかし一方で、機会費用を考えた場合は「目先の利益」と「長期的な利益」を見誤ることが無いように注意したほうが良いのは明らかだ。
この点が分かり易い例として、「大学に通いながらアルバイトをする」という選択を想定してみる。
時給900円のアルバイトで遊ぶための(目先の)小金を稼ぎをしながら大学へ通うより、その時間でしっかり勉強して、例えば司法試験に合格したら、生涯年収は遥かに高くなる。
あるいは英語をしっかり勉強して総合商社に入れば、将来の時給は1万円を超えるかもしれない。
※もちろん、生活が苦しく、やむを得ず学校とバイトの二足のわらじをはかざるを得ない場合は仕方がないが。。
何に時間を使うと一番効率よく収益をあげられるか?
常にその視点で考える姿勢が大事となる。
長期的な視点が無いと、目先の利益に追われてしまうこととなる。
ホリエモンの例もあるよ
通常は刑務所に入れられると、機会費用が失われるばかりか、市場価値も急激に低下する。
しかし、ホリエモンなんかは、刑務所での体験談もチャッカリ書籍に盛り込んだり、その際の経験を語ることで、自身のイメージを若干操作している側面もある。
この様に「一見、機会費用が大きく損なわれるような選択をしてしまった場合においても、今の選択(刑務所に入っている状態)をアイデア次第で、出来る限り利益を最大化させるといった試み」は可能であるということだ。
機会費用を損なわないために、自身の得意・不得意を把握する
自身の得意分野・不得意分野を熟知していることは、機会費用を損なわないためにも重要だ。
例えば、あなたが「ブログの文章を作成する能力に長けているが、イラストを作成する能力は皆無」だったとする。
で例えば、ブログ文章は1時間で作れて、イラストを作成するのに5時間も必要だと仮定する。
その場合、機会費用の観点からは「自身はブログ文章の作成に注力する」といった選択をするのが妥当かもしれない。
「じゃあ、イラスト作成はどうするのか?」ということになるが、この場合は「外注する」などが挙げられる(お金が無いなら、頑張ってイラストも作るしかない!)。
で、アクセスが集まりだすと、自身はブログやコンテンツの全体像の構成だけに注力し記事自体も外注するという選択肢も出てくる。
同じ内容でも機会費用は人によって異なる
例えば、スーパーで惣菜を買うより自分が調理したほうが安いとする。
しかし、料理が苦手な人は、調理をすることにより機会費用は大きく損なわれる(料理をしなければ、その時間を他の有益なことに使用することが出来る。あと、調理によって生じるストレスも減る)。
なので、わざわざコンビニで高い惣菜を安易に買っているのを見かけたとしても、否定はできない。
一方で、機会費用を訓練により変化させることもできる。
例えば、料理が苦手な人であっても、繰り返し調理をすることで、少しずつ機会費用が小さくなってくることもあり得る。
要は以下のことが言いたい。
例えば前述したように、イラストを作るのが苦手なら、外注すると機会費用を損なわなくて済む。
ただし、(短期的には機会費用が損なわれると思われがちではあるが)イラストを自身で作成していると、長期的にはイラスト作成が上達し、スラスラと(外注するよりも)思い通りのイラストが描けるようになったり、外注するための費用がいらなくなったりする場合もある。
もっと夢を語るとすると、自身がイラストレーターとして顧客を持つなどと、新たな道が切り開ける可能性だってゼロじゃない。
そうなってくると「自身でイラストを作成するのが、ベストな選択肢であった」と言える。
要は、短期的な機会費用だけでなく、長期的な機会費用も考えようという事だ。
重複するが、人生は選択の連続である。
で、何が正しくて、何が間違っているかなど、時が過ぎてみないと分からない(あるいは一生「あの時の、あの選択は間違っていなかったのだろうか?」っといった事も有り得る)。
物事の機会費用は、人によって異なる
ここまで観覧してもらえばわかるように、機会費用は人によって異なる。
「今日は100円引きだからという理由でラーメン店に1時間も並ぶという行為」は何も仕事をしていないニートにとっては、時間に対する機会費用が小さいので意味があるかもしれない。
一方で、分刻みで活躍しなければならない会社の社長の場合、時間に対する機会費用が大きいので、1時間も並ぶという事は大きな損失になる。
経済的な観点だけを考えるなら、社長の収入を時給換算すると行列に並ぶ意味は全くないことはすぐわかる。
「時は金なり」という諺があるように、時間をお金に換算した場合、時間をどこへ割り振るのが一番効率的かを考えるのは大切だ。
晩婚化の原因も機会費用?
最近は結婚しない男女が増えてきているらしい。
生涯未婚率(50歳時点で結婚したことが無い人)は女性で約10%、男性の場合は約20%という情報もある。
※男性の5人に1人は50歳まで独身という事になる
※数値に差はあれど「晩婚化になっている、あるいは結婚しない男女が増えている」というのは、共通認識だろう。
2011年3月に発表された内閣府の調査によれば「一生結婚するつもりはない」と考えている人は男性全体で9.4%、女性では6.8%とのこと。
1992年の調査ではこの数字は男性4.9%、女性5.2%だということを考えると、男性で約2倍、女性も1.3倍強と、増加していることになる。
で、その原因として「機会費用」が変化しつつあるということは考えられないだろうか?
結婚することの機会費用とは、独身で居続ける場合に得られる利益がどれくらいあるか、を考えることだ。
昔は結婚というのは、ある種の価値交換的な部分があった。
「男性が外で稼いで生活の保証をする代わりに、女性は家事全般を担当する」といった具合だ。
「男性にとってみると、一人でずっと生活して面倒な家事を続けていくよりも、結婚して奥さんに家事をやってもらう価値の方が大きいと考える人が多かった」という専門家の意見は多い。
また女性にしても、(昔は今よりも賃金の男女差別が大きかったため)自分が稼ぎ続けるよりも家庭で労働力を提供する代わりに、もっと高い報酬を得るパートナーを獲得する利益の方が大きかったという考えも成り立つのではないだろうか。
つまり、独身で居続ける価値よりも、結婚する価値の方が高いと考える人が多かったということだ。
しかし、最近では「結婚することで得られるもの」よりも「失われるもの」のほうが大きいと感じる人が増えてきている可能性がある。
一人でいるときの気楽で快適な環境を失いたくない、つまり結婚することの機会費用は大きいと考える人が多くなったのではという考え方だ。
スーパーやコンビニでは個食に合った商品の提供が増えており、昔に比べると一人でいることによる不憫さを感じなくなっているという事も拍車をかけているのかもしれない。
※もちろん、子供が欲しかったり、老後の孤独だったり、様々な要素がからんでくるので、この話は物事の一面だけ切りとって語られる類では無いのだが、あくまで『機会費用』という点にみにフォーカスして解説してみた。
機会損失とは
最後に、機会費用と類似した用語である『機会損失』についても記載して終わりにする。
冒頭で、機会費用に関して以下の様に解説した。
機会費用とは:
ある行動を選択することで失われる、他の選択肢を選んでいたら得られたであろう利益のこと。
~マネー用語辞典より~
一方で、類似した経済学用語に『機会損失』があり、意味は以下となる。
機会損失とは:
実際に取引を行い発生した費用ではなく、最善の決定をしなかったがために、利益を得る機会を逃した場合の費用概念のこと。
~マネー用語辞典より~
違いが分かりにくいかもしれないが、以下の様な解釈で良いと思う。
機会費用:
何らかの選択をした結果、得られなかった利益のこと。
機会費用が、「自身が選択したことによって生じた利益」より大きいか・小さいかはケースバイケース。
機会損失:
単に、ある行為を「実行できなかった・実行し損ねた(やり損ねた)」ことで生じる(あるいは生じた)損失。
要は、(消極的・尻込みしてしまった結果として)逃してしまった利益の総称をさす。
機会損失は、損失が生じないための情報を持っているかどうかが大前提になる。その上で、自身に行動力があるかどうかも損失が生じないためのポイントとなる。
で「ある行為を実行しなかった」というのも立派な『選択』なので、「機会費用の中に機会損失が含まれる」といった解釈でも良いのではないかと感じる。
この記事は、読み返してみると、機会費用と機会損失をゴチャ混ぜに記載している節があるので注意してほしい(ニュアンスが伝われば、それだけで幸いだ)。
今までの人生を振り返って
私も今まで、当然のことながら機会費用を考えながら生きてきた。
※機会費用という用語を意識したという意味ではなく、どちらの選択が最善かを常に意識しながら生きてきた。
皆も、大なり小なり悩んだり、選択を繰り返すことで、現在の位置に立っているのだと思う。
で、もしもタイムマシーンがあったとして、ドラえもんに以下の様な質問をされたなら、あなたは何と答えるであろうか?
タイムマシーンで、過去に戻って人生をやり直せるとしたら、君はいつの時代に戻りたい?
私は迷わず
今の自分で十分だよ
っと答えると思う。
それだけ、今まで考え抜いて選択してきたし、良い出会いを沢山した。
もちろん、このブログでは記載していないような失敗もしてきたが。。。
ただ、そういう失敗をしなければ今の自分はいないと思う。
そして、これまでの素晴らしい出会いや思い出、価値のある失敗もひっくるめて「過去に戻るという事は、これら全てがリセットされてしまう」ということだ。
一期一会という言葉が存在するが、今までの出来事、出会い、どれ一つ欠けていても今の自分は存在していない。
そんなのは耐えられない。
本当に、今までの出来事、私に関わってくれた人全てに感謝している。
そして、これからも新しい一歩を選択し続けていきたいと思っている。
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機会損失を回避するためには「正しい情報」と「行動力」が不可欠になる。
しかし、この2つが揃って何らかの選択をしたとしても、それが仇となることは当然有り得る(何もしないという選択が正しい場合もあり得るということ)。
そんな時あなたは「やっぱり、何も行動しなかったほうが良かった」「余計な行動をとったことが仇となった」と後悔するかもしれない。
しかし、行動経済学では「何も行動せずに、後で後悔すること」と「行動して、後悔すること」では前者の方が公開の度合いが強いという事が知られている。
そんな行動経済学に関しては以下の記事で深堀解説しているので、興味がある方は参考にしてみてほしい。
⇒『やるべきか、やらざるべきか、、、迷った際は行動しよう!『行動・非行動の法則』を解説!』
この記事で解説してきたように、何かを選ぶ上で必ず考えるべきコストが「機会費用」なのだが、逆に絶対に考えてはいけないコストがあり、それが『サンクコスト』である。