この記事は認定理学療法士の(共通問題)の試験範囲である『科学と倫理』についてです。

 

認定理学療法士の認定試験(共通)を受けるにあたって、勉強がてらに作成しました。

 

※臨床に役立つ情報ばかりではないので、アウトプットしないと覚えれそうにない。。

 

興味が出た部分は脱線しながら記載していますが、理学療法認定試験を受ける際の参考の参考になれば幸いです。

 

 

科学と倫理

 

半田会長のお話は、自分の言葉で話してくれるので、話しに引き込まれてしまいます。

 

興味深い話も非常に多い。

 

ただ、資料に記載してない話が多かったり、記載しててもそれを否定するような方向で話を進たりするので、「試験に出そうなポイント」が分かりにくいです。

 

でもって、この資料で(テストには出ないともいますが)一番興味深かったイラストは以下になります。

 

 

1992年と、かなり古い資料ですが「年老いた親の扶養をどうするか」っと世界18カ国の18~24歳の男女にアンケートをとった結果です。

 

日本は「どんなことをしてでも養う」って割合が、他の国と比べて非常に低い。

 

でもって、以下の様な解釈ができるとのこと。

 

自分の子供を「どんなことをしてでも養う」っていうのは「自分の遺伝子を次へ引き継ぐ目的」でDNAに組み込まれている可能性が高いし、当たり前。一方で、自分の親を「どんなことをしてでも養う」っていうのはDNAに組み込まれていない可能性は低い。でもって、他国に合って日本に無い可能性があるのは「親に対する教育」。

 

例えば韓国なんかは「親を敬うように」っていうのが非常にきつく叩き込まれたりって感じで、教育されている。

 

そういう差が、データに表れているのでは?って事です。

 

こういう背景が、「退院できそうな患者の家族」との話し合いの場で浮き彫りになることがあるかもしれません。

 

 

ヘルシンキ宣言

 

資料の「ヘルシンキ宣言の部分」におけるポイントは以下の通り。

 

医学研究は、単に科学的観点からだけではなく倫理的な観点からの妥当性が必要とされてた(昔の様に「医療が進歩するなら、人体実験などの非人道的な行為をしても良いってのは×」である)。

 

医学研究は、全ての人間に対する尊敬を深め、その健康と権利を擁護する基準に従わなければならない。

 

考察・論評・助言を添えて、特別に指名された倫理審査委員会に提出しなければならない。

 

対象者の自由意思によるインフォームドコンセントを文章で得なければならない。
 
ネガティブな結果もポジティブな結果と同様に刊行または他の方法で公表されなければならない。
 
 

医療過誤と法的責任

 

法的責任は以下の通り。

 

刑事責任

加害者の反社会性あるいは反倫理性が処罰の根拠とされる。したがって、加害者の主観麺が重要視される。

 

民事責任

被害者の損害回復を目的とする制度であり、加害者の故意・過失により負担に軽量が生じない。

 

法制上の責任

免許に関するものであり、医療の安全確保を目標としている。

 

 

上記はメチャクチャ重要なので覚えましょう。

 

例えば飲酒運転で理学療法士が捕まった場合は、上記3つ全ての責任が問われる可能性があります(どれか一つではなく)。

 

でもって、飲酒運転で逮捕された場合「理学療法士の免許停止(剥奪じゃない)が数年間続く」っとされています(事故をしていなくても、飲酒運転が発覚した時点で)。

 

免許を持っていない理学療法士(っというか一時的に理学療法士ではなくなる)は雇う価値がなくなってしまうので十分注意する必要がありそうです。

 

 

人格(person)の概念

 

Engelhardtのパーソン理論では、ヒト(human)と人格(person)を以下の様に整理している。

 

人(human)と人格(person)を区別し、前者は生物学的な概念、後者は人間を固有な存在として認知する。

人格(person)を特徴づけるのは自己意識・理性・道徳・感覚である。

 

上記で考えると「胎児・乳幼児・認知症・こん睡状態」があれば(personではなく)humanとなります。

 

上記は欧米的な価値観であり、こういう価値観だからこそ「脳死状態の人(human)」からの臓器移植が発展しているのかもしれません。

 

 

一方で日本では臓器移植がなかなか浸透しない。

 

でもって、その理由が以下な可能性があるとのことです。

 

「Engelhardtのパーソン理論」の様な価値観を日本人が持っていない

 

要するに、日本人は以下の様に考えてしまう可能性が高いってこと。

 

「自己意識・理性・道徳・感覚」が無くなった場合でも、人間固有の存在(human)として認められるのではないだろうか?
 
 

WHOにおける「健康」の定義

 

WHOでは健康について以下の様な記載がある。

 

健康とは身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気や虚弱で無いということに尽きるものではない
 
つまり「健康じゃない」っていうのは「病気」「虚弱」だけを指している訳じゃないって事。
 
「身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態」だけが健康に該当する。
 
ただ、そんな人間が果たして存在するのでしょうか?
 
上記を「健康」と定義するなら、私は健康ではありません。
 
っていうか、私の周りに健康な人など一人もいません。
 
そんな人、世の中に何人いるの?
 
そんな問題定義もしながらの授業でした。