※今回の『報酬系その④:報酬系を活用しよう』はシリーズとして掲載している。
※はじめて観覧する方は『報酬系その①:すべてはこの実験から始まった』から観覧することをお勧めする。
報酬系におけるドーパミンの重要性
前回記事で「報酬系によってもたらされる興奮・快感と幸せは異なる」という点を強調して解説した。
でもって、あまりにも報酬系に関する否定的な見解を記載したので、もしかすると「報酬システムなんて、現代社会に無くても良いのでは?」と思った人もいるかもしれない。
しかし実際は、「報酬系は人が生きていく上で非常に大切な要素」であり、今回は報酬系のポジティブな側面にフォーカスして解説していく。
欲望を失った人間の話
アメリカで症例報告がなされた有名な男性がいる。
彼の名は「アダム」であり、以下の経緯で劇的な変化を遂げた。
アダムの脳をスキャンした結果、薬物の過剰摂取による酸素欠乏によって、脳の報酬システムに障害が残ったことが確認できた。
つまり、彼を観察することで「報酬システムの存在が私たちに与える影響」を確認できるという訳だ。
アダムはどうなったのか?
「脳の報酬システムに障害が残ったアダム」はドラックに対する欲望のみならず、「欲望そのもの」を完全に失くしてしまった。
その結果「何をしても、楽しい気分になれない」という事態に陥った。
更には、楽しいことを期待する能力も失ったため、人生への希望が持てず、深刻なうつ状態に陥ってしまった。
※必然的に体力・集中力など様々な機能も衰えていった。
無快感症とは?
アダムのように「(報酬システムの障害によって)欲望を失ったせいで楽しいことを期待できなくなった症例」は他にも多くある。
でもって、これらは『無快感症』と呼ばれる。
※無快感症とは、文字通り「快感が無なくなってしまった状態」を指す。
無快感症の人達は、毎日の暮らしに満足を求めることは一切なく、ただ習慣をこなすだけとなる。
食べたり、買い物をしたり、人に合ったり、セックスをしたりといった行動・行為から得られる「喜び・快感・興奮」などに期待も持っていない。
喜びを期待していないので、行動を起こすこともなく、気力も無くなる。
※期待感を放棄してしまうと、ベッドから起るのさえ辛くなる。
※起きて1日を過ごすことに、一ミリも期待を抱けるものが無いとするならば「起きることに意味を見いだせない」のは当然だ。
※あるいは、これが一生続くとなると「生きる意味を見いだせない」と言い換えることも出来る。
重複するが、このように欲望を全く感じなくなると、希望が持てなくなり、生きる意欲をなくしてしまう。
「報酬系システムに反応しない=満足した状態」ではない
前回の記事で「報酬系システムによってドーパミンの赴くままに行動したとしても、結局は満足した状態(幸せな状態)に到達できない」といったニュアンスの表現をした。
なので、もしかすると以下のように考えた人もいるのではないだろうか?
しかし、「報酬システムが反応しない状態」は「無感動になっている状態」を意味し、それは満足している状態とは言えない。
この点に関しては、先ほどの「無快感症」の例からも理解してもらえたと思う。
「ドーパミン低下」と「抑うつ傾向」
科学者らが「うつ病患者の脳の活動状態」を調べたところ、目先の報酬を前にしても報酬システムの活性状態が維持されなかったとの文献もある。
※多少の活動は表れても、「欲しい」とか「何が何でも手に入れよう」という強い気持ちは生まれない。
で、パーキンソン病の随伴症状として「抑うつ傾向」があげられることがある。
関連記事⇒『パーキンソン病の症状は多岐にわたるよ』
これは、パーキンソン病患者の脳内でドーパミンが十分生成されないため、憂鬱で、情緒が不安定になっている可能性があるのではと言われている(報酬系にも何らかの機能障害が起きている可能性がある)。
ドーパミンは「正義」ではないが「悪」でもない
前回の記事で、ドーパミンの負の側面にフォーカスした解説をしたが、ここまで記事を観覧してもらうと分かるように、ドーパミンには良い側面も多いことがわかる。
ドーパミンは「正義」ではないが「悪」でもないのだ。
でもって、私たちは報酬系システムをうまく活用することで、人生をより豊かにすることができるかもしれない。
報酬系を活用しよう
私たちは「欲望を感じたい」のだ。
でもって、脳に報酬システムが組み込まれているいる以上、欲望を感じたいと思うのは健全と言える。
良かれ悪しかれ、私たちは欲望に満ちた世界が大好きで、いつも夢を見ていたいのだ。
ウィンドーショッピングをしたり、夢を見て宝くじを買ってみたり、自堕落な生活を送ったりするのが楽しいのはそういうわけでだ(自堕落は違うか??)。
例えドーパミンを刺激する要素が排除されても、私たちは新たに欲望を刺激してくれる何かを探さずにはいられない。
※これにより「ある物を手に入れたら幸せになれる」と思っていも、実際に手に入れれば色褪せてしまい「別の欲望を満たしてくれる何か」を求めてしまう。
しかし、ここまで述べてきた通り「報酬の予感を生み出すこと」は健全であるため、上手に利用してしまおう。
報酬系で成長できる
報酬系を私達が上手く利用することは、人生を豊かにすることにも繋がってくる。
例えば私は、理学療法系の資格をいくつか取得ているが、これら資格を取得する過程で考えていたことは、「色々と学べばもっと多くの患者さんを良くしてあげることができる」「試験に合格したら自分の中で何かが変わるかも」といった思いであり、これら期待感に胸を膨らませることでドーパミンが放出され、それが原動力になっていたので行動し続けることが出来たのだと思われる。
しかし、資格を取得したと同時に、それまでの報酬系で得られていた快情動は消えてしまう。
更に言うと、何らかの資格を取得したからと言って、その資格自体が自身に何らかの変化を与えてくれることはなく、もちろん直接的な昇給に結びつくことも無い。
※強いて言うなら名刺を渡した際に話が多少膨らむ程度だろうか?
しかし、話はここで終わりではない。
私が行動を起こしたことによって
『資格を取得するまでの過程で得られた知識・技術』
っというかけがえのない財産が得られた。
これらの知識・技術を一定以上に深めようとすると、ある程度の期間を要する。
例えば、10年も継続して修練しなければ体得できないような技術であれば、10年という期間を聞いただけで気持ちが萎えて、尻込みしてしまう人もいるだろう。
しかし、そこへたどり着くまでに、認定○○、専門○○といった資格制度があれば、短期目標として十分に機能するはずだ。
重複するが、長期目標を達成するためには、短期的な報酬をこまめに設定してあげることが大切だ。
この点は、リハビリにも通じる部分があり、例えば「健康寿命を延ばすことを目的とした運動」などはゴールが見えないので、モチベーションを保つための短期目標などの報酬をこまめに設定しておくことは大切となる。
小さな目標を設定しよう
長期的に達成しなければならない目標があるならば、小さな目標を立ててコツコツ達成して、最終的には長期目標を達成するという方法法の方が良い。
最初からたいそうな目標を掲げすぎると、行動が伴わなくなる可能性がある。
なので、小さな目標を掲げ、コツコツ達成していくことが大切になる。
この考えは、短期目標を達成する度に行動の原動力となるドーパミンが分泌されることに加え、短期目標の達成を予測することによっても報酬系は賦活されるという観点からも、この手法は理にかなっていると言える。
で、「報酬系」を利用しながら小さな目標を達成し続けたら、知らず知らずに大きな目標にも手が届きそうな自分がそこに存在しているという訳だ。
この点は、日常生活を豊かにするために応用できるのは当然として、リハビリとしても『強化学習』という概念として有名である。
関連記事⇒『強化学習(手続き学習)』って何だ? | 報酬系のリハビリ応用(報酬誤差学習も解説!)』
一方で、これは(悪い意味で)TVゲーム中毒などの助長とも因果関係がある。
例えばロールプレイングゲーム(ドラクエなど)では「レベルが上がって強くなる」「小さなイベントを達成する」など、短期目標になりそうな要素が散りばめられており、それらを達成する度にドーパミンがバンバン分泌し、飽きることなくゲームを続けてしまう。でもってゲームをクリアすると、今度は裏ボスなんかが登場し、更にそれを倒すためにゲームを続けてしまう。
つまり、ドーパミンによる報酬系の賦活は、良い意味でも悪い意味でも私たちに影響を及ぼすため、「今報酬系が賦活されているが、これは自身の将来にプラスに働くのか、あるいは不毛なのか」を一度立ち止まって確認することも人生にとって有益だ。
※もちろん、人生は「無駄」「遊び」も大切で、ストレス解消目的に上手にこれらを織り交ぜて適度にドーパミンを放出させることはストイックすぎるよりは健全かもしれない。
資格取得は長期目標を達成するためのインセンティブになり得る
「資格取得」というのは行動に突き動かすための原動力として報酬系に作用する。
※経済学用語で表現するなら、「資格取得は、私を自己研鑽せるためのインセンティブになり得た」と言い換えることが出来る。
関連記事⇒『インセンティブを解説!国の政策の裏を読め!』
もちろん、これは資格取得に限った話ではない。
「学会発表」「ブログで自分の考えを整理する」など、「学び行動に自身を突き動かす原動力」であれば何でもインセンティブになり得る訳だ。
でもって、(重複するが)資格取得・学会発表・ブログの更新した先に、何か幸福が待っているというよりは、その過程での成長こそが一番重要な財産になっているケースが多い。
短期目標には、適度な難易度を設定しよう
目標を立てる時の「適度な難易度」は、自身を成長させようと思った際に活用できる要素である。
適度な難易度とは以下の通り。
人の心はわがままに出来ていて、簡単すぎると退屈でつまらなくなり、難しすぎると取り組むのが辛くなる。
※これもテレビゲームに例えるとピンときやすいかもしれない。
つまり、難しすぎても優しすぎてもドーパミンは分泌しにくく、大きな成長を遂げにくい。
では、どれくらいの難易度が適切なのかというと、レフ・セミョノヴィッチ・ヴィゴツキーという心理学者は、学習効果に関する研究のなかでこう定義している。
っとなると、一日の大半を占める「仕事」を上記に合わせることが、(理屈上は)効率良く成長するための近道という事になる。
しかし一方で、仕事を「既知のもの半分・未知のものを半分」に調整するのは難しい。
なので、これはあくまで定義としてとらえ、以下の様に自身で再定義しなおせば良いと思う。
リハビリ(理学療法・作業療法)の世界において「新しいこと」とは何でも良い。
新たな研修・書籍によって学びを深めて、普段の臨床に変化をつけて効果の違いを検証するのも良いだろう。
※こういう検証の積み重ねが、ゆくゆくは真理にたどり着きやすい(もちろん、都合の良いように解釈したと思っている人にとっては、物事の心理にたどり着くという事は必ずしもポジティブな側面ばかりではない。ただ、この点については、この記事に全く関係ない話になるので割愛する)。
あるいは、間接業務の円滑化のための知識(例えばファイルメーカーなど)を学んでみるのも良いだろう。
※もちろん、転職をするとなると「既知の割合より未知な割合が多い状態」になるため場合によってはオススメできるかもしれない。
重複するが、成長するために報酬系を活用しようと思った場合『適度な難易度』も意識してみよう。
報酬系まとめ アウシュビッツ収容所における「生きる意味」
ヴィクト―ル・E・フランクの世界的な名著「夜と霧」をご存じだろうか?
この書籍は、ドイツの強制収容における体験記である。
この収容所での暮らしは、常に死の恐怖と隣り合わせで、衛生状況や栄養状態も最悪だった。
でもって同書によれば、ナチス・ドイツの強制収容所から生還した人は「決して体力で勝った人ではなく、生きる意味を持っていた人だった」と言われている。
「まだ小さいわが子のために、今ここで私が死ぬわけにはいかない」とか「やりかけの大きな仕事がある。あの仕事を成し遂げるまでは死ぬに死ねない」などという「生きる意味」を持っていた人が、多少体力的に劣っていても生き残ったというのだ。
その「生きる意味」が脳を活動させ、免疫力を高めて、「生きる力」となったのだろう。
※そして、この著書を完成させた彼自身も、収容所の中で卓越した洞察力を駆使しする事で生にしがみつくことが出来た一人であった。
重複するが、強制収容所での暮らしは常に死の恐怖と隣り合わせで、衛生状況や栄養状態も最悪だった。
そんな極限状態の中でも「生きる意味」は非常に価値のある物であったと言える。
これは、ドーパミンによる「何らかの生きるための動機づけ」が生きるための原動力になっていたと言い換えることができる。
報酬系を正しく活用しよう
ひるがえって、今の日本はこれほど豊かであるにもかかわらず、年間3万人を超える自殺者がもう10年以上も連続して出ている。
それだけ「生きる意味」を喪失してしまった人が多いことになる。
このことは食べ物やモノが豊富にあり、生存が保証されているだけでは、人は幸福を感じれなくなっていることを示しているのではないだろうか。
※結局は、無い物ねだりをしてしまうのだ
関連記事⇒『マズローの欲求階層説 あなたの欲している欲求はどれだ!?』
注意しなければいけないのは、強制収容所における「生きて釈放されたい」という強い思いは、「単に美味しいものが食べたい」「ショッピングを楽しみたい」「(当時は無かっただろうが)TVゲームを楽しみたい」などといった類よりも、もっと崇高なものであった可能性が高いという事だ。
他記事でも言及したが、単に「ジャンクフード、もっと食べたい」「ブランドバック買ってストレス解消だ」「今日もドラクエでレベル上げするぞ」などと、安易で刹那的な快楽に頼っていること(ドーパミン依存)と、長期的な幸せは必ずしもリンクしていない。
しかし、ドーパミンは生きるための強力な原動力となる。
報酬系を活用しよう。
次の記事はこちらから
この記事はシリーズで掲載しており、次の記事で最後になります。
報酬系最終話:報酬系まとめ! 報酬系と幸福について
※このシリーズの記事一覧は以下でまとめています。