なぜ幸福になれないのだろう。
それはすべての限界効用が逓減するからだ。
朝目覚めて、「私はなんて幸福なんだろう」と思えるような生活に憧れる人は多いだろう。
才能と幸運があれば、そんな生活が手に入るかもしれない。
しかし、いつしか、その幸福感にも慣れてしまう。
そしてその空隙に、些細なアクシデントが忍び込んでくることもある。
すると、その人は自身を「不幸だ」と感じてしまうかもしれない。
今回は、そんな『限界効用の逓減』について記載していく。
限界効用の逓減とは
世の中には、「貧しくても幸福だと感じる人」がいる一方で、「大富豪でも不幸だと感じている人」もいる。
これは、幸福かどうかは「主観」によって成されるからである。
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しかし、色んな人たちをたくさん集めて平均すると、「お金が増えれば幸福感も増えるが、ある程度の豊かさになると幸福感は変わらなくなること」が分っている。
でもって経済学では、「良いことも悪いことも、いずれは慣れてしまう」という現象を『限界効用の逓減』と呼び、「ある程度の豊かさになると幸福感が変わらなくなる」のも『限界効用の逓減』と言える。
※どちらかというと「良いことも、いずれは慣れてしまう」という現象で使われることが多い(悪いことは、人によっては慣れない、あるいはかなり時間がかかる場合もあったりするので)。
「お金に関する限界効用」の逓減ラインは幾ら?
私たちはお金(収入)にも慣れてしまう。
「これ以上収入が増えても、うれしさはそんなに変わらないよ」という金額はいくらだろか?
(文献によってマチマチだが)日本では年収800万円(アメリカでは7万5000ドル)がボーダーラインとされている。
ちなみに、この金額は「大人ひとり」の収入を指しており、子供のいる夫婦の場合は年収1500万円くらいになるらしい。
※子供は大人より1年間に必要な費用は異なるし、誰かと一緒に住むとお金(例えば家賃・光熱費など)を効率よく使えるという意味で(800万円×3ではなく)1500万円なのだろうか??
なぜお金が無いと幸福感が下がるのか?
幸福についての調査では、「お金が無い」と意識すると幸福感が大きく下がることが分かっている。
では、なぜ「お金が無い」と幸福感が下がるのだろうか?
パッと思い浮かぶのは以下の様な事だろう。
買いたいものが買えない。
人並みに(旅行・外食などに)お金が使えない。
確かに上記は一理あり、極貧であるほど「買いたい物が買えない」というのは切実な悩みであり、「買いたい物が買えた時」の幸福感はハンパないだろう。
一方で、「極限までの貧乏ではないが、お金が無いと感じている人」の幸福感が低いのは以下が理由だといわれている。
将来に対する不安。
ついついお金のことを気にしてしまう。
ポイントは、極貧な人と異なり、買えないわけではないという点。
重複するが「お金のことが気になって仕方がないから(気分的に)不幸になっしまう」という訳だ。
こう考えると、収入が増えるにつれて幸福感が増してくる理由も分かってくる。
※もちろん、極貧な人は生きる上で必要な最低限のものが買えるようになることで幸福になるのだが、それ以外の人は「お金のことを気にせずに暮らせるようになるから(気分的に)幸福になる」と言える。
※で、「人並みに幸福とされること(外食・家・車・旅行などなど)」をお金を気にせずに出来るようになると、それ以上のことを出来るようになっても、幸福感はそれほど変わらないと言われている。
この点に関して、『限界効用の逓減』の観点からは「幸福に慣れてしまう」というザックリとした表現になるのだが、神経生理学的側面からはドーパミンについて理解を深めると「なぜ慣れてしまうのか?」も分かりやすいと思う。
関連記事⇒『報酬系② 報酬系におけるドーパミンの特徴とは??』
ちなみに、収入と同じく、資産にも慣れていくことが分かっている。
日本の場合、その金額は1億円とされているが、これは「老後の不安がなくなる金額」と考えると理解できる。
※1億円の貯金があれば、「何があっても取り敢えず生きていける」と安心できる⇒そして一旦資産がその額を超えて将来の不安が無くなると、やはり幸福感はあまり変わらない。
幸福の研究によれば、ある一定のレベルまでは、年収が増えるとそれに比例して幸福度も増すことが分かっている。
そのレベルというのは約7500ドルだが、それを超えると、必ずしも収入と幸福度は比例しなくなる。
つまり、一定の収入を超えると、欲しいものを買う時に二の足を踏まなくなる。それ以下の収入のレベルでは、休暇に行くか、それを辞めて車を買うかと悩むが、一定のレベルを超えると、悩まずに両方をものにできるすることができる、というだけのことだ。
もちろ所得の高さは幸福になる可能性を与えてくれるが、幸福その斧を与えるわけではない。事実、お金を持っていても、自分は不幸だと感じている億万長者は多い。
~書籍『コトラー マーケティングの未来と日本 時代に先回りする戦略をどう創るか』より引用~
余談:もう一つの「年収・貯金が増えても幸福感が高まらない理由」
これは、とある番組でメンタリストDaigoが語っていた内容であるが、興味深い切り口で「お金と幸福感」について語っていたので備忘録と言う意味も含めて記載しておく
Daigo曰く「人間とは、お金を稼げるようになればなるほど、一人でいたくなる生き物であることが分かっている」とのこと。
※お金を稼げるようになる程に、一人でいる時間を愛するようになるらしい。
※これはお金が無くとも、お札をみせたり、お金について考えさせたりするだけでも無意識に人間は、人との付き合いよりも、一人でするアクティビティを好むようになるとのこと。
しかし一方で、人間関係は幸福感を得るためには超重要で、お金よりも幸福感をもたらしてくれるとまで言われている。
つまり、『(一定の収入以上稼げるようになると)お金よりも幸福感をもたらしてくれるはずの人間関係が疎かになってしまうため、お金によるメリットが得られなくなってしまう』と解釈できるのだとか。
この点を知っていると、お金を稼げるようになっても人間関係にも気を配れるので、高収入であれば、更に幸福感も高めることができるという事になる。
不幸にも限界効用の逓減がある
幸福と同様に不幸も限界効用が逓減することが分かっている。
例えば恋人にフラれると、一時的には不幸のどん底に追いやられるかもしれない。
離婚となると尚更だし、父親・母親の死なども強烈なストレスを自身に与えることだろう。
しかし、それでも人の感情は、いずれいつものレベルに(時間はかかるかもしれないが)戻っていくといわれている。
重複するが、人生のさまざまな出来事に遭遇して、一時的には幸福になったり不幸になったりするものの、その感情はいずれいつものレベルに戻っていくということだ。
※ただ、男性は離婚すると寿命が縮むと言われていたり、女性は最終的に結婚していた時よりも幸福度が上がると指摘されることもあり、ひとくくりに語るのは難しいかもしれないが。。
逆境は、乗り越えるほど幸福になる
多くの人は「人生に逆境などない方がいい」と思っているだろう。
個人的にも、逆境など、可能な事なら避けて通りたいものだ。
しかし、「あまり逆境を経験した人が無い人達は、ある程度つらい経験のある人たちに比べて、幸福感が低く、健康状態が劣っていた」であったり、「過去の逆境を経験した数がゼロの人たちは、逆境を経験した数が平均的だった人たちに比べて、人生に対する満足度がはるかに低かった」といった報告もある。
たしかに、何の障害もない平凡な人生よりも、山あり谷ありの人生の方が、幸福度が高いことは何となく想像できる。
しかし、この考えは「山あり、谷ありの人生で、最終的に山にいる人(あるいは少なくとも平地にいる人)でなければ感じることは出来ないのではないだろうか?
逆境がすでに過去のものとなって初めて、「あの時の逆境は、自分にとってプラスだったし、だからこそ今の自分がいるし、幸福なのだ」という発想につながるのだろう。
でなければ、逆境に翻弄されて不幸のどん底でくすぶり続けるか、下手をすれば自殺なんてことも有り得たりする。
「逆境は人生の満足度を高める」というのは、一見ポジティブな言葉だが、「今現在、逆境に足掻いている人達」には、何の朗報にもなっていないかもしれない。
幸福に慣れないために
「はたから見るととても幸せな成功者なのに、本人はあまり幸せではない」なんてことは、よくある。
それは、もしかすると、「本人が幸せに慣れてしまっている」のが原因なのかもしれない。
※仲良く暮らしてきた夫婦が、特に問題もないのにだんだん冷たい関係になっていく、というのも同様だ。
こうなってしまうと、人はせっかく手に入れた幸せを手放して、別の幸せを探して彷徨い始めることもあるだろう。
幸せに慣れることで、幸せを失ってしまうのだ。
そうならならないためには、工夫が必要で、例えば以下などは効果的だと言われている。
日記に書くことで、平凡だと感じていた日常から、何とか幸せを見つけようとアンテナを張ることで、いつも小さな幸せを探すようになるとのこと。
日常生活の中にたくさんの「いいもの」「いいこと」をみつけられるようになれば、毎日が新鮮になり、幸福が当たり前になりにくくなる。
この点に関しては以下の記事でも解説しているので、興味がある方は参照してみてほしい。
⇒『幸福優位の法則とは? ショーン・エイカーが語るポジティブシンキングの重要性』
終わりに
幸福は逃げ水を追いかけるようなもので、決して手に入れることが出来ない。
難しく考えるなら「ヒトは不幸からの回復力(レジリエンス)を手に入れるために、幸福を犠牲にしている」と言い換えることもできる。
で、自分自身の幸福感は常に変動するのだが、そんな主観的な指標に「他人との比較」を持ち込むと、尚更に厄介なことになる。
人間は生まれた時点から平等ではない。
外見も裕福さも運動神経も社交性も頭の良さも性格も何もかもが生まれた時から致命的なまでに決まってる。
※もちろん、生まれた後の環境も大きく関与しているが、意外と遺伝が影響しているものが多いという報告が、多く出てきている。
なので、せめて「他人との比較」ではなく「過去の自分との比較」を心がけよう。
自身の過去より、自分が一歩でも二歩でも前に進めているのかどうか。
それが大事だ。